2016 08.04
昨日の投稿にてご紹介した外的コントロールについて学んだ仲間から,こんな悩みを聞いたことがあります。
『家族に対して外的コントロールを使わないように意識することはできるようになってきたんだけど,結局,我慢している状態なので,ストレスが溜まってしまうんだよね~。』
う~ん,よくわかります。
外的コントロールを使うべきではないということを学ぶと,今までだと深く考えずに思いのままに他者を責めたり批判したりしていたところを,「ウッ」と堪えて,選択理論的なアプローチを考えて実行するということを意識するようになります。
これって,確かに,“我慢している”状態といえますよね。
このような我慢している状態が続いてしまうと,結構なストレスになってしまい,色々とやる気が失せてしまったりするかもしれません。
では,外的コントロールを使わないことがストレスになってしまう人は,外的コントロールを捨てない方が良いのでしょうか。
そんなことはありません。
外的コントロールを使い続ければ,必ず人間関係は破壊されていきます。それによって発生する様々なトラブルによるストレスや,人間関係が不和になっていることそのもののストレスに比べれば,外的コントロールを我慢することによるストレスはほとんど一瞬のものであり,全然比較になりません。
まず,そのことをぜひ念頭に置いておきましょう。
また,外的コントロールを使わないことにストレスを感じる人は,外的コントロールを使う未来と使わない未来を普段から想像するようにしましょう。
使う未来は,大切な人間関係が破壊されていく破滅的未来です。
使わない未来は,良好な人間関係を構築し,たくさんの人と信頼し合ってシナジーを生み出せる明るい未来です。
このことを意識していれば,段々と,破滅的未来ではなく明るい未来に向けて,積極的に外的コントロールと距離を置いている自分が楽しくなってきます。
また,選択理論的アプローチは,理解が深まれば深まるほど,『この問題について,この人にどのようなアプローチをすれば内発的動機を形成してくれるだろうか。』と考える作業が楽しくなり,知的興奮を覚えるようになります。
外的コントロールで人を動かそうとするのは楽です。何も考えずに,「あれをやれ。これをやれ。」と命令するだけですから。
でもね,言うだけで人が変わるんだったら誰も人材育成や教育に苦労しません。これは誰もが実体験しているところだと思います。
確かに,外的コントロールは,しばしば短期的には人を動かす効果があります。
しかし,外的コントロールという手抜きをしても,恒常的に問題解決にはなりません。
外的コントロールを使われた相手は,自らが積極的に望んで自発的に動くのではなく,外的コントロールという痛みから逃れたいために動いています。
そのため,外的コントロールを使う人がいなくなれば,また行動をしなくなります。
当然ですよね。自らそうしたい,あるいはするべきだと思っていないわけですから。
「〇〇さんがいなければ,怒られないからやらなくていい。」という発想になるわけです。
部下がこのような状態になっている時に,問題の原因を部下に置く上司がいますが,それは誤りです(というか,それは自分が上司として指導力がないと認めることと同義です。)。
上司が発揮するべきリーダーシップとは,部下の価値と可能性を引き出して,それに自分で気づけるように支援したり,励ましたりすることです。
それをせずに,外的コントロールを使ったときだけ一時的に動きはするが,恒常的には変わらない部下について,「せっかくこっちが指導してやってるのに,行動を変えようとしないなんて,無能なやつだ。」というような評価をする(あきらめる)というのは,上司としてかなり恥ずかしい対応であることに気づかなければなりません。
以前に本ブログでも紹介しましたが,「指を自分に向ける」ことが肝要です。
大事なことなので,何度でもお伝えしたいと思います。
以上のような外的コントロールの効果を知った上で,皆さんは,外的コントロールを使う未来と使わない未来,どちらを選びますか?
『家族に対して外的コントロールを使わないように意識することはできるようになってきたんだけど,結局,我慢している状態なので,ストレスが溜まってしまうんだよね~。』
う~ん,よくわかります。
外的コントロールを使うべきではないということを学ぶと,今までだと深く考えずに思いのままに他者を責めたり批判したりしていたところを,「ウッ」と堪えて,選択理論的なアプローチを考えて実行するということを意識するようになります。
これって,確かに,“我慢している”状態といえますよね。
このような我慢している状態が続いてしまうと,結構なストレスになってしまい,色々とやる気が失せてしまったりするかもしれません。
では,外的コントロールを使わないことがストレスになってしまう人は,外的コントロールを捨てない方が良いのでしょうか。
そんなことはありません。
外的コントロールを使い続ければ,必ず人間関係は破壊されていきます。それによって発生する様々なトラブルによるストレスや,人間関係が不和になっていることそのもののストレスに比べれば,外的コントロールを我慢することによるストレスはほとんど一瞬のものであり,全然比較になりません。
まず,そのことをぜひ念頭に置いておきましょう。
また,外的コントロールを使わないことにストレスを感じる人は,外的コントロールを使う未来と使わない未来を普段から想像するようにしましょう。
使う未来は,大切な人間関係が破壊されていく破滅的未来です。
使わない未来は,良好な人間関係を構築し,たくさんの人と信頼し合ってシナジーを生み出せる明るい未来です。
このことを意識していれば,段々と,破滅的未来ではなく明るい未来に向けて,積極的に外的コントロールと距離を置いている自分が楽しくなってきます。
また,選択理論的アプローチは,理解が深まれば深まるほど,『この問題について,この人にどのようなアプローチをすれば内発的動機を形成してくれるだろうか。』と考える作業が楽しくなり,知的興奮を覚えるようになります。
外的コントロールで人を動かそうとするのは楽です。何も考えずに,「あれをやれ。これをやれ。」と命令するだけですから。
でもね,言うだけで人が変わるんだったら誰も人材育成や教育に苦労しません。これは誰もが実体験しているところだと思います。
確かに,外的コントロールは,しばしば短期的には人を動かす効果があります。
しかし,外的コントロールという手抜きをしても,恒常的に問題解決にはなりません。
外的コントロールを使われた相手は,自らが積極的に望んで自発的に動くのではなく,外的コントロールという痛みから逃れたいために動いています。
そのため,外的コントロールを使う人がいなくなれば,また行動をしなくなります。
当然ですよね。自らそうしたい,あるいはするべきだと思っていないわけですから。
「〇〇さんがいなければ,怒られないからやらなくていい。」という発想になるわけです。
部下がこのような状態になっている時に,問題の原因を部下に置く上司がいますが,それは誤りです(というか,それは自分が上司として指導力がないと認めることと同義です。)。
上司が発揮するべきリーダーシップとは,部下の価値と可能性を引き出して,それに自分で気づけるように支援したり,励ましたりすることです。
それをせずに,外的コントロールを使ったときだけ一時的に動きはするが,恒常的には変わらない部下について,「せっかくこっちが指導してやってるのに,行動を変えようとしないなんて,無能なやつだ。」というような評価をする(あきらめる)というのは,上司としてかなり恥ずかしい対応であることに気づかなければなりません。
以前に本ブログでも紹介しましたが,「指を自分に向ける」ことが肝要です。
大事なことなので,何度でもお伝えしたいと思います。
以上のような外的コントロールの効果を知った上で,皆さんは,外的コントロールを使う未来と使わない未来,どちらを選びますか?