2016 08.03
選択理論では,他者の思考や行動を,外部からの刺激によって(無理矢理)変えようとする行為のことを「外的コントロール」と呼んでいます。
外的コントロールは,選択理論と対をなす概念ともいえます。
選択理論は,『人はすべからく自分自身の選択によって行動を決定しているため,外部からの刺激によって人を変えることはできない,変えられるのは自分と未来だけであって,他人と過去は変えられない』ということを前提にして,人の行動変容は,あくまでその人自身が自ら内発的に行動を変えようという動機をもった結果であると考えるからです。
グラッサー博士は,外的コントロールについて,以下のような三信条を挙げています。
第一信条
私は外側からの簡単なシグナルに反応して行動する。
第二信条
私は,人がしたくないことでも,自分がさせたいことをその人にさせることができる。
また,他の人も,私の行動をコントロールすることができる。
第三信条
私の言う通りにしない人を馬鹿にし,脅,罰を与える,あるいは
言うことを聞く人に褒美を与えることは正しいことであり,私の道義的責任である。
こうして文字にしてみると,「いや~,他人を意のままにコントロールできるとは思ってないし,(言うことを聞かない人に)罰を与えたり褒美を与えることが道義的責任だなんて,そんな大げさなこと考えたことないよ~。」という方がほとんどでしょう。
しかし,実際の行動を振返ってみるとどうでしょうか。
指示を守れなかったり,期待した成果を上げられなかった部下に対して,「なんでそんな失敗をしたんだ。」とか,「やる気あるのか!?」とか,そういった形で叱責したことはありませんか?
(※ちなみに,言い方が穏やかであったとしても,外的コントロールであることに変わりはありません。)
あるいは,配偶者の言葉や行動が気に入らないなと感じた時に,「なんで〇〇なことをするんだ。」とか「その考え方はおかしい。」とか,そういった批判をしたことはありませんか?
あるいは,自分を責めたり批判したりしてくる他者に対して,拗ねたり,いじけたりして,相手を困らせようとしたことはありませんか?
こういった行為を人生で一度もしたことがないという大人は,およそ世の中に存在しないのではないかと思います。
もちろん私も,上記のような行為をこれまで色々としてしまっていました。
さて,私たちはなぜ,上記のような行動をとってしまうのでしょうか。言い方を換えれば,どんな目的があって,上記のような行動をとってしまうのでしょうか。
答えは単純です。「相手を変えたいから」です。
部下が期待通りの仕事ができていなければ,そのような仕事ができるようになって変わってもらいたいと思って,叱責をします。
配偶者の言葉や行動が気に入らないと感じた時には,そのような言動をしない人に変わってもらいたいと思って,批判をします。
他者から責められたり,批判された時には,そのような行為をやめてもらい,自分を大事に取り扱ってくれるように変わってもらいたいと思って,拗ねたりいじけたりします。
全て,相手に変わってもらいたいという欲求から来る行動なわけです。
しかし,人は他人を変えることはできません。
いくら他者に対して外的コントロールを使ったとしても,その人を変えることはできないのです。
仮に,一時的にはこちらの要望どおりの行動をとるようになったとしても,それは,外的コントロールから逃れるための一時避難的行動に過ぎず,長続きするものではありません。
何度も繰り返しになりますが,人が行動を変えるのは,自らがそうしたいという動機を形成したときだけです(これを「内発的動機付け」と呼んでいます。)。
したがって,他者ができることは,そのような動機を形成する手助けとなる情報(=判断材料)を提供することだけなのです。
これは簡単なことではありません。相手がどのようにしたら行動を変える動機を形成してくれるか,ということは,簡単にはわからないからです。
対して,外的コントロールは,はっきり言って楽な行動です。
何も考えず,思いつくままに,相手を責めたり,批判したり,文句を言ったり,ガミガミ言ったり,脅したり,罰したりするのが,外的コントロールだからです。
「いちいち内発的動機付けなんて考えてられない。将来人間関係が壊れようが,自分の望みが叶わなかろうが,今この瞬間だけ自分の言う通りになってくれればそれでよい」という方は,どうぞ外的コントロールをお使いになってください。
「配偶者,子供,上司,同僚,部下,その他縁ある人達と良好な関係を築き,ぜひとも幸せな人生を歩みたい」という方は,外的コントロールを今この瞬間から捨て去りましょう。
今まで常態的に外的コントロールを使っていた人は,例え内発的動機付けにつながる効果的なアプローチまではうまくできなかったとしても,外的コントロールを捨てるだけで,かなり環境は変わります。
騙されたと思ってぜひ試してみてください(^^)
外的コントロールは,選択理論と対をなす概念ともいえます。
選択理論は,『人はすべからく自分自身の選択によって行動を決定しているため,外部からの刺激によって人を変えることはできない,変えられるのは自分と未来だけであって,他人と過去は変えられない』ということを前提にして,人の行動変容は,あくまでその人自身が自ら内発的に行動を変えようという動機をもった結果であると考えるからです。
グラッサー博士は,外的コントロールについて,以下のような三信条を挙げています。
第一信条
私は外側からの簡単なシグナルに反応して行動する。
第二信条
私は,人がしたくないことでも,自分がさせたいことをその人にさせることができる。
また,他の人も,私の行動をコントロールすることができる。
第三信条
私の言う通りにしない人を馬鹿にし,脅,罰を与える,あるいは
言うことを聞く人に褒美を与えることは正しいことであり,私の道義的責任である。
こうして文字にしてみると,「いや~,他人を意のままにコントロールできるとは思ってないし,(言うことを聞かない人に)罰を与えたり褒美を与えることが道義的責任だなんて,そんな大げさなこと考えたことないよ~。」という方がほとんどでしょう。
しかし,実際の行動を振返ってみるとどうでしょうか。
指示を守れなかったり,期待した成果を上げられなかった部下に対して,「なんでそんな失敗をしたんだ。」とか,「やる気あるのか!?」とか,そういった形で叱責したことはありませんか?
(※ちなみに,言い方が穏やかであったとしても,外的コントロールであることに変わりはありません。)
あるいは,配偶者の言葉や行動が気に入らないなと感じた時に,「なんで〇〇なことをするんだ。」とか「その考え方はおかしい。」とか,そういった批判をしたことはありませんか?
あるいは,自分を責めたり批判したりしてくる他者に対して,拗ねたり,いじけたりして,相手を困らせようとしたことはありませんか?
こういった行為を人生で一度もしたことがないという大人は,およそ世の中に存在しないのではないかと思います。
もちろん私も,上記のような行為をこれまで色々としてしまっていました。
さて,私たちはなぜ,上記のような行動をとってしまうのでしょうか。言い方を換えれば,どんな目的があって,上記のような行動をとってしまうのでしょうか。
答えは単純です。「相手を変えたいから」です。
部下が期待通りの仕事ができていなければ,そのような仕事ができるようになって変わってもらいたいと思って,叱責をします。
配偶者の言葉や行動が気に入らないと感じた時には,そのような言動をしない人に変わってもらいたいと思って,批判をします。
他者から責められたり,批判された時には,そのような行為をやめてもらい,自分を大事に取り扱ってくれるように変わってもらいたいと思って,拗ねたりいじけたりします。
全て,相手に変わってもらいたいという欲求から来る行動なわけです。
しかし,人は他人を変えることはできません。
いくら他者に対して外的コントロールを使ったとしても,その人を変えることはできないのです。
仮に,一時的にはこちらの要望どおりの行動をとるようになったとしても,それは,外的コントロールから逃れるための一時避難的行動に過ぎず,長続きするものではありません。
何度も繰り返しになりますが,人が行動を変えるのは,自らがそうしたいという動機を形成したときだけです(これを「内発的動機付け」と呼んでいます。)。
したがって,他者ができることは,そのような動機を形成する手助けとなる情報(=判断材料)を提供することだけなのです。
これは簡単なことではありません。相手がどのようにしたら行動を変える動機を形成してくれるか,ということは,簡単にはわからないからです。
対して,外的コントロールは,はっきり言って楽な行動です。
何も考えず,思いつくままに,相手を責めたり,批判したり,文句を言ったり,ガミガミ言ったり,脅したり,罰したりするのが,外的コントロールだからです。
「いちいち内発的動機付けなんて考えてられない。将来人間関係が壊れようが,自分の望みが叶わなかろうが,今この瞬間だけ自分の言う通りになってくれればそれでよい」という方は,どうぞ外的コントロールをお使いになってください。
「配偶者,子供,上司,同僚,部下,その他縁ある人達と良好な関係を築き,ぜひとも幸せな人生を歩みたい」という方は,外的コントロールを今この瞬間から捨て去りましょう。
今まで常態的に外的コントロールを使っていた人は,例え内発的動機付けにつながる効果的なアプローチまではうまくできなかったとしても,外的コントロールを捨てるだけで,かなり環境は変わります。
騙されたと思ってぜひ試してみてください(^^)