2016 08.05
※本投稿のエッセンスを動画でもまとめました!
アインシュタインの言葉です。
この言葉を知ったのは割と最近なのですが,『さすがアインシュタイン,うまいこというな~!』と思いました。
「常識」という言葉を一度も使わずにこれまで生きてきた方はおそらくいらっしゃらないと思います。
誰しもが日常的に頻繁に使っている言葉ですよね。
デジタル大辞泉では,「一般の社会人が共通にもつ,またもつべき普通の知識・意見や判断力」と定義されています。
この定義が厄介なんですよね~(^_^;)
我が国の多くの人は,「常識」を上記の定義で使っています。
なので,世の中では,「〇〇は常識知らずで困る。」とか,「そんな行動は常識的に考えておかしい。」とか,そういう言葉が無数に飛び交っているわけですよね。
でもね皆さん。「一般の社会人が共通にもつ,またもつべき普通の知識・意見や判断力」って,例えば具体的にどんなものか説明できますか?
小学校で習う四則計算とか,常用漢字等でしょうか。
はたまた,新聞で良く取り上げられる政治・経済のニュースでしょうか。
どれも,「常識」といえるかどうかは人によって変わる気がしませんか。
私は,ある時から「常識」という言葉を意識的になるべく使わないようにしてきました。
それは,「常識」は人によって千差万別であり,誰かの「常識」は他の誰かにとって「非常識」であることも大いにありうることであることに気付いたからです。
実際,皆さんも,「〇〇は常識だ。」と思っていたのに,その常識が他者に対して通用しなかった(=その人にとっては「常識」ではなかった)という経験をされたことはあるのではないでしょうか。
大体,国を隔てれば,往々にして,日本では多くの人にとって共通の認識になっていることが,別の国では非常識であったりしますよね。
それどころか,日本国内の範囲でも,例えばエスカレーターの乗り方等には地域によって違いがありますよね。
止まって乗る人が左側に寄る地域もあれば,右側に寄る地域もあります。
こんな風に,「常識」というのは実に曖昧な概念なわけです。
なので,私は,「常識」という言葉を使うときは,「その人にとっての常識」とか,「その地域(業界)における常識」というように,限定した表現を使うようにしています。
このように考えていくと,「常識」って,私が良く使うある言葉に似ていると思いませんか?
(※私のブログをあまり読んだことがない方ごめんなさい。これを機にちょっと過去の投稿も呼んでみてもらえたらとっても嬉しいです)。
そう,個人における「常識」は,結局のところ,その人の「パラダイム」とほぼイコールだと思います。
これを非常に端的かつ正確に言い表してくれているのが,標題のアインシュタインの言葉です。
「常識」と「偏見」,一見すると真逆の概念のように思えますよね。
前者は,社会的な共通認識で,後者は個人の偏ったものの見方,というのが多くの方の理解ではないかと思います。
ここがアインシュタインのすごいところです。
「常識」という言葉(概念)と「偏見」という言葉(概念)が,本質的には非常に近いものであることを見抜き,それを見事に一言で言い表したわけです。
まさに,「常識」の枠にとらわれず,自らの「偏見」を貫いて歴史的な大発見をしたアインシュタインならではという感じですよね。
まあ,アインシュタインの絶賛はこれくらいにして,以上のことを実生活でどう活かしていくか,ということを考えてみましょう。
特に職場において,(上司・部下・同僚・後輩問わず)自分が常識(=やってあたり前)だと思っていることについて,やらない人がいたとします。
そんな時は,「何でこんな常識的なこと(当たり前のこと)をやらないんだ(できないんだ)!?」
・・・て,思っちゃいますよね。まあ,人間ですから,思わずそのような疑問が頭に浮かんでしまうことは仕方ないと思います。
でも,それを,相手に対する非難や批判,文句として口に出してしまうのはおススメできません。
良いことが何もないからです。
そんな時は,まず,相手にとっての常識を聞いてみる(理解する)ところから始めましょう。
人を動かしたければ,「まず理解に徹し,そして理解される」(第5の習慣)が鉄則です!
最初は,自分の常識と他者の常識との違いに戸惑うかもしれませんが,段々と,その違いが面白く感じるようになります。
それに,視野が大きく広がります。だって,今まで自分が考えたことがない発想や考え方を学べるわけですから。
これは非常に大きなメリットだと思います。
その人がなぜそのような常識を持つに至ったのかというところまで知れたら,人間学に対する理解が深まり,それがそのまま人間力の向上につながります。
自分の「常識」の枠にとらわれず,他者の「常識」を受け入れて,どんどん人間としての枠を広げていきましょう!!
アインシュタインの言葉です。
この言葉を知ったのは割と最近なのですが,『さすがアインシュタイン,うまいこというな~!』と思いました。
「常識」という言葉を一度も使わずにこれまで生きてきた方はおそらくいらっしゃらないと思います。
誰しもが日常的に頻繁に使っている言葉ですよね。
デジタル大辞泉では,「一般の社会人が共通にもつ,またもつべき普通の知識・意見や判断力」と定義されています。
この定義が厄介なんですよね~(^_^;)
我が国の多くの人は,「常識」を上記の定義で使っています。
なので,世の中では,「〇〇は常識知らずで困る。」とか,「そんな行動は常識的に考えておかしい。」とか,そういう言葉が無数に飛び交っているわけですよね。
でもね皆さん。「一般の社会人が共通にもつ,またもつべき普通の知識・意見や判断力」って,例えば具体的にどんなものか説明できますか?
小学校で習う四則計算とか,常用漢字等でしょうか。
はたまた,新聞で良く取り上げられる政治・経済のニュースでしょうか。
どれも,「常識」といえるかどうかは人によって変わる気がしませんか。
私は,ある時から「常識」という言葉を意識的になるべく使わないようにしてきました。
それは,「常識」は人によって千差万別であり,誰かの「常識」は他の誰かにとって「非常識」であることも大いにありうることであることに気付いたからです。
実際,皆さんも,「〇〇は常識だ。」と思っていたのに,その常識が他者に対して通用しなかった(=その人にとっては「常識」ではなかった)という経験をされたことはあるのではないでしょうか。
大体,国を隔てれば,往々にして,日本では多くの人にとって共通の認識になっていることが,別の国では非常識であったりしますよね。
それどころか,日本国内の範囲でも,例えばエスカレーターの乗り方等には地域によって違いがありますよね。
止まって乗る人が左側に寄る地域もあれば,右側に寄る地域もあります。
こんな風に,「常識」というのは実に曖昧な概念なわけです。
なので,私は,「常識」という言葉を使うときは,「その人にとっての常識」とか,「その地域(業界)における常識」というように,限定した表現を使うようにしています。
このように考えていくと,「常識」って,私が良く使うある言葉に似ていると思いませんか?
(※私のブログをあまり読んだことがない方ごめんなさい。これを機にちょっと過去の投稿も呼んでみてもらえたらとっても嬉しいです)。
そう,個人における「常識」は,結局のところ,その人の「パラダイム」とほぼイコールだと思います。
これを非常に端的かつ正確に言い表してくれているのが,標題のアインシュタインの言葉です。
「常識」と「偏見」,一見すると真逆の概念のように思えますよね。
前者は,社会的な共通認識で,後者は個人の偏ったものの見方,というのが多くの方の理解ではないかと思います。
ここがアインシュタインのすごいところです。
「常識」という言葉(概念)と「偏見」という言葉(概念)が,本質的には非常に近いものであることを見抜き,それを見事に一言で言い表したわけです。
まさに,「常識」の枠にとらわれず,自らの「偏見」を貫いて歴史的な大発見をしたアインシュタインならではという感じですよね。
まあ,アインシュタインの絶賛はこれくらいにして,以上のことを実生活でどう活かしていくか,ということを考えてみましょう。
特に職場において,(上司・部下・同僚・後輩問わず)自分が常識(=やってあたり前)だと思っていることについて,やらない人がいたとします。
そんな時は,「何でこんな常識的なこと(当たり前のこと)をやらないんだ(できないんだ)!?」
・・・て,思っちゃいますよね。まあ,人間ですから,思わずそのような疑問が頭に浮かんでしまうことは仕方ないと思います。
でも,それを,相手に対する非難や批判,文句として口に出してしまうのはおススメできません。
良いことが何もないからです。
そんな時は,まず,相手にとっての常識を聞いてみる(理解する)ところから始めましょう。
人を動かしたければ,「まず理解に徹し,そして理解される」(第5の習慣)が鉄則です!
最初は,自分の常識と他者の常識との違いに戸惑うかもしれませんが,段々と,その違いが面白く感じるようになります。
それに,視野が大きく広がります。だって,今まで自分が考えたことがない発想や考え方を学べるわけですから。
これは非常に大きなメリットだと思います。
その人がなぜそのような常識を持つに至ったのかというところまで知れたら,人間学に対する理解が深まり,それがそのまま人間力の向上につながります。
自分の「常識」の枠にとらわれず,他者の「常識」を受け入れて,どんどん人間としての枠を広げていきましょう!!