2017 12.19
考え方の違いは貴重である
「『よかった。あなたは私と違う意見を持っている』異なる意見に対して賛成する必要はないが,彼らを肯定することはできる。そして,理解するよう努めることができるのだ。」
スティーブン・R・コヴィー
皆さんは,自分と違う考え方を持つ人や,「理解できない」と感じるような言動をする人と接したとき,どんな風に感じるでしょうか?
あるいは,どんな気持ちになるでしょうか?
恐怖や不安を感じるという人もいるでしょう。
そういう人とは関わりたくないと思う人もいるでしょう。
もし,職場や家庭などごく身近な人が当てはまったとしたら(あるいは,そういう一面が見えたとしたら),「自分はなんて不運なんだろう・・・」と嘆いてしまうかもしれませんね。
では,どうして,自分とは違う考え方や,理解が追い付かない言動に触れると,人は恐怖や不安など,マイナスな感情を抱いてしまうのでしょうか。
実は,そんなに難しいことではありません。
一言で言ってしまえば,他者が持つ自分とは違う考え方や,理解が追い付かない言動は,自分の中にある「安心領域」の外にある事柄だから,恐怖や不安を感じてしまうのです。
未知の領域,足を踏み入れたことのない領域ということですね。
これははっきり言って,人間である以上は誰しも多かれ少なかれ持ちうる感情であり,無理もないことです。
そりゃそうですよね。
誰だって,未知の領域に足を踏み入れることには,恐怖や不安が伴って当然です。
勇気が必要になりますよね。
では,このような勇気を持っている人はごく限られているのでしょうか。
いえいえ,そんなことはありません。
例えば,スポーツや,仕事,あるいは勉強等の分野では,まさに,自分が目指す目標との関係であったりとか,あるいは,単純に成長することが楽しくて,今までできなかったことができるようになるために努力をするということは,誰しもごく当たり前に行っていますよね。
私は小学校の頃から野球をやっていて,今も弁護士の仲間と草野球チームを組んで練習や試合をしていますが,やはり大人になってから趣味でやっているスポーツであっても,もっと上手くなりたいと思っていろいろと考えますし,練習や試合にも真剣に臨んでいます。
皆さんも,スポーツに限らず,そういう趣味とか特技などは,何かしらお持ちなのではないかと思います。
このように,多くの人は,分野の違いはあれど,今まで知らなかったことや,できなかったことに挑戦することについて勇気を出した経験を持っているのです。
ところが,こと人間関係の問題となった時には,これらと同じように考えることはできなくなり,『自分と違う考え方の人は理解できない』と言ってすぐに匙を投げてしまう人が大変多くいらっしゃいます。
これは,人間関係の場合,多くの人が,「自分なりの価値観」や「自分なりの常識」に縛られてしまい,それを絶対視してしまう傾向があるため,自分と違う他者の考え方に触れたときに,これを理解しようと努めることが自分にとってどれだけプラスに働くかということに思い至らないためであると考えられます。
「私の考え方が常識的で,あなたの考えはおかしい。そんな理解できないことを言う(理解できないことをする)あなたとは関わりたくない。」
という発想になってしまうのですね。
もちろん,自分の人生において重要ではない人間関係についてであれば,このような態度でも大きな問題は生じません。
自分が特に好きではないスポーツを上手くなるために無理して努力したり,あるいは,特に自分の仕事や家庭生活を充実化する上であまり重要ではない知識を得るために無理に勉強する必要がないのと同じです。
ですが,自分の人生において重要な人間関係については,そういうわけにはいきませんよね。
最も近いところでいえば,家族がそうでしょう。
親,きょうだい,配偶者,子供などですね。
その次には,職場や重要なコミュニティの人間関係も重要ですよね。
こういった人間関係は,いわば,受験生にとっての五教科のようなものです。
理解しようと努めなければ,目標を達成したり,人生を充実化することはできない領域ということです。
国語や数学がわからないからといって,わからないことをわかろうと努力しなければ,当然ながら希望する進学は望めませんよね。
結局,人間関係についても同じことなのです。
家族や友人,職場の同僚,上司,部下などについて,自分とは違う考え方を持っていたり,理解できないと感じる言動をしている人がいる場合には,それを理解しようという意識を持ち,そのための努力をしなければ,当たり前ですが理解できるわけがないのです。
勉強が進んでいない教科のようなものですから。
受験生が希望する進学を実現できるように努力するのと同じように,人間関係を良くしたい,居心地の良い職場にしたい,明るく円満な家庭を築きたいと思ったら,自分の周りにいる近しい人たちが持つ,自分とは違う考え方や価値観,行動様式などを理解しようと努めなければなりません。
逆に言うと,そういう風に,「なぜこの人はこういう考え方をするのだろうか」という問いを自ら持って,その疑問を解消するために(=その人を理解するために)行動するようになると,さながら勉強が進んで試験の点数が上がっていくように,他者に対する理解が深まっていき,興味深さを感じたり,面白いと感じることができるようになってきます。
スポーツ,勉強,あるいは仕事のスキル等でも,初心者の頃は,わからないことだらけでなかなか面白みを感じれなかったけれど,段々とできるようになってきて(わかるようになってきて),一気に面白く感じるようになってきたという経験は,ほとんどの人が持っているのではないでしょうか。
それと同じなのです。
いきなり0点の状態から100点をとれるようになったり,バットを振ったことのない状態からいきなりホームランを打つことができないのと同じように,いきなり他者の全てを理解することは無理です。
でも,『理解しよう』とか,『(自分が今まで持ったことのない考え方に)興味を持とう』という意識をもって他者と接するようになると,だんだんとわかってくるようになります。
そうした習慣がついてくると,徐々に,
「自分と違う考え方を知るのが面白い」
とか,
「自分と違う考え方や意見は,自分の考えを広げてくれるし,より良いアイデアを創造するためのヒントにもなるので,貴重である」
という感覚が持てるようになってきます。
安定的に80点以上を取れるようになったり,安定的にヒットを打てるようになったりする状態と似たようなものです。
もっと良い人間関係を築いて,ストレスから解放されたいという願望を持っている方は,ぜひ,ご自身の近しい距離にいる人たちの自分とは違う考え方について,『理解不能』と決めてシャットアウトするのではなく,理解しようと努力してみてください。
なかなか理解できなくとも,理解しようとして相手の話を聴いたり,相手の行動を頭から否定したりしないようになるだけで,状況は確実に好転しますよ!
スティーブン・R・コヴィー
皆さんは,自分と違う考え方を持つ人や,「理解できない」と感じるような言動をする人と接したとき,どんな風に感じるでしょうか?
あるいは,どんな気持ちになるでしょうか?
恐怖や不安を感じるという人もいるでしょう。
そういう人とは関わりたくないと思う人もいるでしょう。
もし,職場や家庭などごく身近な人が当てはまったとしたら(あるいは,そういう一面が見えたとしたら),「自分はなんて不運なんだろう・・・」と嘆いてしまうかもしれませんね。
では,どうして,自分とは違う考え方や,理解が追い付かない言動に触れると,人は恐怖や不安など,マイナスな感情を抱いてしまうのでしょうか。
実は,そんなに難しいことではありません。
一言で言ってしまえば,他者が持つ自分とは違う考え方や,理解が追い付かない言動は,自分の中にある「安心領域」の外にある事柄だから,恐怖や不安を感じてしまうのです。
未知の領域,足を踏み入れたことのない領域ということですね。
これははっきり言って,人間である以上は誰しも多かれ少なかれ持ちうる感情であり,無理もないことです。
そりゃそうですよね。
誰だって,未知の領域に足を踏み入れることには,恐怖や不安が伴って当然です。
勇気が必要になりますよね。
では,このような勇気を持っている人はごく限られているのでしょうか。
いえいえ,そんなことはありません。
例えば,スポーツや,仕事,あるいは勉強等の分野では,まさに,自分が目指す目標との関係であったりとか,あるいは,単純に成長することが楽しくて,今までできなかったことができるようになるために努力をするということは,誰しもごく当たり前に行っていますよね。
私は小学校の頃から野球をやっていて,今も弁護士の仲間と草野球チームを組んで練習や試合をしていますが,やはり大人になってから趣味でやっているスポーツであっても,もっと上手くなりたいと思っていろいろと考えますし,練習や試合にも真剣に臨んでいます。
皆さんも,スポーツに限らず,そういう趣味とか特技などは,何かしらお持ちなのではないかと思います。
このように,多くの人は,分野の違いはあれど,今まで知らなかったことや,できなかったことに挑戦することについて勇気を出した経験を持っているのです。
ところが,こと人間関係の問題となった時には,これらと同じように考えることはできなくなり,『自分と違う考え方の人は理解できない』と言ってすぐに匙を投げてしまう人が大変多くいらっしゃいます。
これは,人間関係の場合,多くの人が,「自分なりの価値観」や「自分なりの常識」に縛られてしまい,それを絶対視してしまう傾向があるため,自分と違う他者の考え方に触れたときに,これを理解しようと努めることが自分にとってどれだけプラスに働くかということに思い至らないためであると考えられます。
「私の考え方が常識的で,あなたの考えはおかしい。そんな理解できないことを言う(理解できないことをする)あなたとは関わりたくない。」
という発想になってしまうのですね。
もちろん,自分の人生において重要ではない人間関係についてであれば,このような態度でも大きな問題は生じません。
自分が特に好きではないスポーツを上手くなるために無理して努力したり,あるいは,特に自分の仕事や家庭生活を充実化する上であまり重要ではない知識を得るために無理に勉強する必要がないのと同じです。
ですが,自分の人生において重要な人間関係については,そういうわけにはいきませんよね。
最も近いところでいえば,家族がそうでしょう。
親,きょうだい,配偶者,子供などですね。
その次には,職場や重要なコミュニティの人間関係も重要ですよね。
こういった人間関係は,いわば,受験生にとっての五教科のようなものです。
理解しようと努めなければ,目標を達成したり,人生を充実化することはできない領域ということです。
国語や数学がわからないからといって,わからないことをわかろうと努力しなければ,当然ながら希望する進学は望めませんよね。
結局,人間関係についても同じことなのです。
家族や友人,職場の同僚,上司,部下などについて,自分とは違う考え方を持っていたり,理解できないと感じる言動をしている人がいる場合には,それを理解しようという意識を持ち,そのための努力をしなければ,当たり前ですが理解できるわけがないのです。
勉強が進んでいない教科のようなものですから。
受験生が希望する進学を実現できるように努力するのと同じように,人間関係を良くしたい,居心地の良い職場にしたい,明るく円満な家庭を築きたいと思ったら,自分の周りにいる近しい人たちが持つ,自分とは違う考え方や価値観,行動様式などを理解しようと努めなければなりません。
逆に言うと,そういう風に,「なぜこの人はこういう考え方をするのだろうか」という問いを自ら持って,その疑問を解消するために(=その人を理解するために)行動するようになると,さながら勉強が進んで試験の点数が上がっていくように,他者に対する理解が深まっていき,興味深さを感じたり,面白いと感じることができるようになってきます。
スポーツ,勉強,あるいは仕事のスキル等でも,初心者の頃は,わからないことだらけでなかなか面白みを感じれなかったけれど,段々とできるようになってきて(わかるようになってきて),一気に面白く感じるようになってきたという経験は,ほとんどの人が持っているのではないでしょうか。
それと同じなのです。
いきなり0点の状態から100点をとれるようになったり,バットを振ったことのない状態からいきなりホームランを打つことができないのと同じように,いきなり他者の全てを理解することは無理です。
でも,『理解しよう』とか,『(自分が今まで持ったことのない考え方に)興味を持とう』という意識をもって他者と接するようになると,だんだんとわかってくるようになります。
そうした習慣がついてくると,徐々に,
「自分と違う考え方を知るのが面白い」
とか,
「自分と違う考え方や意見は,自分の考えを広げてくれるし,より良いアイデアを創造するためのヒントにもなるので,貴重である」
という感覚が持てるようになってきます。
安定的に80点以上を取れるようになったり,安定的にヒットを打てるようになったりする状態と似たようなものです。
もっと良い人間関係を築いて,ストレスから解放されたいという願望を持っている方は,ぜひ,ご自身の近しい距離にいる人たちの自分とは違う考え方について,『理解不能』と決めてシャットアウトするのではなく,理解しようと努力してみてください。
なかなか理解できなくとも,理解しようとして相手の話を聴いたり,相手の行動を頭から否定したりしないようになるだけで,状況は確実に好転しますよ!