阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属 阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属

2017 09.15

今日は,私が弁護士として様々なクライアントからご相談を頂くにあたってほとんど常に頭に浮かぶ原則を紹介したいと思います。

それは,「他者の問題に介入しようとしても問題は解決しない」という原則です。

(※ここでいう「介入」は求められていないのに入っていく行為だと思ってください。)

例えば,ある家庭において,母親が,学校の成績が芳しくないにも関わらず家で勉強せずにゲームばかりしている子供に対して,「ゲームばっかりやってないで勉強しなさい!」と叱っているというケースを考えてみます。

この時,一度言って子供がすぐにゲームをやめて,『そうだ!勉強しなきゃ!お母さん,注意してくれてありがとう!』と言って自ら積極的に勉強を始めるようであれば,この子供にとって,お母さんが「勉強しなさい!」と叱ることは,勉強をすることの必要性を思い出させてくれる良いきっかけになっているのでしょうから,特に問題ありません。

(もっとも,そのような考え方の子供であれば,そもそも親に注意されなくてもきちんと自分から必要十分な勉強をしている場合の方が多いと思います。)

それでは,「勉強しなさい!」と叱ったときは渋々ゲームをやめて仕方なく机に向かうものの,また次の日になったら親に注意されるまで勉強をしようとはしないような状態になってしまうため,結果として何度叱っても一向に勉強が進む様子はなく,成績も上がらない場合はどうでしょうか?

このような場合に,それでもとにかく「勉強しなさい!」と叱り続けたり,場合によっては脅し(※例えば「勉強しなければゲーム機を捨てるよ!」等)によって無理矢理にでも勉強をさせようとする親もいますね。

しかし,そのような強制的にやらせるようなアプローチで,果たして子供は,進んで勉強したいとか,勉強しようという気持ちになるでしょうか?

なりませんよね。

仮にその瞬間は勉強したとしても,それは痛みや恐怖から逃れるための一時しのぎでしかなく,痛みや恐怖がなくなれば,勉強する気持ちになる可能性は非常に低いでしょう。

このように,他者の抱えている問題を解決しようとして強引に介入した場合(他人に一定の行動を強いた場合)に,それが実際に問題解決に結びつくことはほとんどありません。

しかし,人は往々にして他者の問題に介入して強引に問題解決を図ろうとして,問題が一向に解決しないことに悩みや苛立ちを抱えることが少なくありません。

(上記の例でいえば,『うちの子はどれだけ注意しても勉強しようとしない・・・。どうしたらいいのだろう・・・。このまま落ちぶれてしまったら目も当てられない・・・。』などと母親が悩む場合が典型例ですね。)

これはどうしてなのでしょうか?

理由は,実はごく単純なことだったりします。

このようなケースのほとんどの場合に当てはまるのが,「他人の問題に介入して,他人の行動をコントロールしようとする」ことに力を注いでいる,という点です。

アドラー心理学でいうところの「課題の分離」ができていない状態なわけですね。

(※宿題をするかしないかは子供の課題であるのに,親がそれに介入している状況)

ある人が抱えている問題にどう向き合い,どのような行動を選択するかを最終的に決定できるのは誰でしょうか?

その人本人だけですよね。

これは絶対的な原則です。

人の行動選択を決定できるのは,その人自身だけです。

他者からのアドバイスや忠告,叱責,その他諸々は,全て最終的な意思決定をする上での判断材料の1つにすぎません。

それにもかかわらず,自分の問題について,求めてもいないのに他人が無理矢理介入してきて,自分の意思決定や行動決定をコントロールしようとしてきたら,皆さんだったらどう感じるでしょうか?

勉強するかどうかを自分自身で考えて決めようとしているのに,親が勝手に介入してきて,「勉強しろ!」とこちらの行動を決めようとしてくるわけです。

おそらく,良い気分になるという方はいらっしゃらないと思います。

むしろ,自分で決めるべきことについてあれこれと介入されて不快感が湧いてくる場合がほとんどでしょう。

具体例で考えてみましょう。

子供のころ,自分自身で

『あ~,そろそろ宿題やらなきゃな~。でも今テレビが面白くていいところなんだよな~。』

などと考えながら行動としてはテレビを見続けているときに,親から,

「テレビばっかり見ていないで,そろそろ宿題やりなさい!」

というように注意されて,

『今自分でやらなきゃと思ってたとこだし,そんなこと言われなくたってわかってるよ!』

と,親に対して反発心が芽生えたり,あるいはそのような思いを実際に言葉に出して親にぶつけたことがある,というご経験のある方は少なくないはずです。

親は,子供が嫌いで,子供をいじめたくて注意しているわけではなく,子供のためを思って言ってくれていることはなんとなくわかりつつも,反発心が芽生えてしまうわけですね。

これは,『宿題をやるかやらないか』という子ども自身が自らの意思で決定すべき選択について,子供が求めていないのに親が介入してきたことに苛立ちを感じているわけです。

宿題をやるかやらないかはもう自らの意思で十分判断して決められる年齢なのに,未だに親が自分の意思決定に介入してくるということ自体に苛立ちを感じるわけですね。

そりゃそうですよね。

人は,自分で決めるべきこと,決めたいことを勝手に他人に決められてしまったら,自尊心を傷つけられることになります。

自分が一人の人間として尊重されていないと感じてしまいますよね。

このように,たとえ親子や夫婦であっても,自分とは別の人間の問題に(無理矢理)介入することは,その人を個人として尊重しておらず,ぞんざいに扱っている行為であり,大変失礼な行為なのです。

では,どうしたらいいのか。

それは子供自身が決めることなのだから,親が介入していはいけないのです。

でも,子供は,親に比べれば人生経験が少なく,物事を判断するための材料となる情報の持ち合わせも少ない場合がほとんどです。

だから,子供が困っていて,助けてほしいとき,自分の判断に有益となる情報を親に提供してほしいと求めてくるときに,手を差し伸べてあげればいいのです。

それは,子供が自らの意思決定の下に,「親から情報提供を受ける」という行動を選択しているのに応えて,親が持っている知識や経験に基づく考えを伝える行為ですから,子供の課題に介入しているわけではありません。

え?子供が全然情報提供を求めてこない場合はどうしたらいいのかって?

それこそ単純明快です(※簡単ということではありませんのでご注意を)。

親が子供の問題を解決するにあたって参考になりそうな有益な情報を持っている存在であることを背中で見せる。

ただそれだけです。

例えば,子供に勉強の大切さや価値を自ら感じてもらいたいのであれば,雑談の中で,勉強することによってどんな良い影響があったのかを(うざくない程度に)伝えてあげるのがいいかもしれません。

もっと単純なのは,親自身が勉強している姿を子供に見せることです。

親が楽しそうに勉強していれば,勉強に興味を持つ可能性は上がるでしょう。

少なくとも,子供の意思決定を尊重せずに「勉強しなさい!」と叱られるよりは,何倍も勉強への興味が湧いてくるでしょうね。

あるいは,何か資格の取得等の明確な目標を立てて勉強している姿を見せるということでもよいかもしれません。

もちろん,これはあくまで例示であり「こうすれば必ずうまくいく!」というものではありません。

当たり前ですが,何が効果的かは子供自身の人間性や,様々な環境要因などによっていくらでも変わり得るからです。

ただ,間違いなく言えることは,子供の問題に介入するという方法では逆効果であるということです。

子供を変えようとするのではなく,親である自分がどのような背中の見せ方や情報の伝え方をすれば,子供にとってより良い選択をしてくれるのかどうかを考えましょう。

ちなみに,親子を中心としてお話ししましたが,経営者と従業員,上司と部下,先輩と後輩等でも同じです。

上司である自分がどんな背中を見せれば部下はついてきてくれるのか,それを考えることが重要なのであり,部下の問題に介入することは逆効果でしかありません。

論語にこんな言葉があります。

「其の身正しければ,令せずして行われ,其の身正しからざれば令せずと雖も従わず」

(そのみただしければ,れいせずしておこなわれ,そのみただしからざればれいせずといえどもしたがわず)

訳:上にある者が品行正しければ命令しなくともよく行われ,正しくなければ,どんなに厳しい命令を下しても,民はついてくるものではない

 

誰かに良い影響を与えたいのであれば,相手に対して言葉を弄するのではなく,相手から尊敬され,進んで助言を求められるような存在に自分がなることに集中しましょう。

他人の問題に介入するのではなく,(人に行動を促すために)あくまで自分自身ができること,やるべきことに集中することで,大いに道は開けるはずです。