2017 04.04
本稿のタイトルは,水島広子著「身近な人の『攻撃』がスーッとなくなる本」から引用させていただきました。
精神科医である水島先生は,「対人関係療法」という精神病の治療法に関する日本の第一人者で,たくさんの著書も出版されている方です。
私は,購読しているPHPで水島先生の記事を拝見する機会を得て,その内容の説得性と,表現のわかりやすさに感動し,気が付いたら先生の本を一気に数冊注文していました。
さて,水島先生の紹介はこれくらいにして,本題に入りましょう。
皆さんは,自分のことを攻撃してくる人が実は「困っている」人だということを考えたことがあるでしょうか。
おそらく,そんな風に考えた経験はない人がほとんどではないかと思います。
私もそうでした。
上記の本を読んでみて,『言われてみればそのとおりだな』とは思いましたが,少なくとも自分自身で「攻撃してくる人=困っている人」という原則を考えたことはありませんでした。
ということで,今日は,「攻撃してくる人=困っている人」という原則について考えていきたいと思います。
この原則については,『「攻撃してくる人=困っている人」とか言うけど,自分は困っている時でも他人を攻撃したりしないし,自分の家族や友達にも自分と同じような人は大勢いる。だから,必ずしも「攻撃してくる人=困っている人」とは言い切れないのではないか(原則とはいえないのではないか)。』
と思う方もいらっしゃるかもしれません。
実際,『困っている人が必ずしも他人を攻撃するわけではない』という点はそのとおりだと思います。
しかし,それは,「困っている人=攻撃してくる人」という公式を否定する根拠にすぎません。
「困っている人=攻撃してくる人」と,「攻撃してくる人=困っている人」は,同一の意味ではありませんよね。
例えば,「人間=生物」は間違いなく成り立ちますが,「生物=人間」とは限りませんよね。
「生物」には,植物も動物も含まれます。
それと同じです。
ちょっと論理法則的な話に偏ってしまったので,元に戻りましょう。
水島先生は,上記の著書において,「攻撃する人」というのは何らかの「脅威」を感じている(=困っている)ため,その脅威から自分を守るための防衛手段の一環として「他人を攻撃する」という選択をしているのだ,と説かれています。
確かに,人が他人を攻撃する時には,(スポーツ等の例外を除いて)怒り,不満,悲しみ,苦しみ等の負の感情を抱いていることがほとんどですよね。
皆さんも,ご自身の経験を振り返っていただければ,誰かと言い争いになったり,暴力をふるってしまったというような経験をしている時には,ほぼ間違いなく何らかの負の感情を抱いていたのではないかと思います。
例えば,会社において,上司が部下に対してパワハラ的な攻撃をしているという場面があったとしましょう。
この時,上司はどんな心境で部下に対してそのような攻撃をしていると思いますか。
上司がドSな人で,部下をいじめることに快感を覚えるからでしょうか。
まあ,世界中探せばそのような例外もあるかもしれませんが,多くの場合は違いますよね。
(上司の目から見て)『部下が自分の期待するとおりに動いてくれない』ことに困っているから,そのような行動に出てしまうわけですよね。
このような分析に対しては,
『いやいや,自分は仕事をきちんとやっているが,単に上司は自分のことが人間的に嫌いだから攻撃をしかけてくるんだ。困っているのとは違う!」
そんな風に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
確かに,仕事上のパフォーマンス以外にも,上司が攻撃をしてくる理由はいくつか考えられるでしょう。
そして,その一つとして,『上司は自分のことを人間として嫌っている』というものもありうると思います。
ただ,その場合も,やはり上司は「困っている」のです。
これは,自分のことで置き換えて考えてみればわかります。
皆さんは,嫌いな人や苦手な人とのコミュニケーションについて,何のストレスや悩みもなく気楽にできますか?
たぶん,そのような相手とのコミュニケーションについて悩ましさを感じない人は,そもそもその相手を「嫌い」とか「苦手」とは思っていないはずです。
コミュニケーションがとりにくい何らかの理由があるからこそ,「嫌い」とか,「苦手」と感じるわけですよね。
そのような,「嫌い」とか「苦手」という意識を持っていること自体が,まさに「困っている」状態なわけです。
夫婦間の口論等も同様です。
夫婦のどちらかが相手に対して攻撃をするときは,何か困っているときです。
例えば,仕事や付き合いを理由になかなか夜早く帰ってこない夫に対して,妻が「もっと早く帰ってきて,子供の面倒を見てよ!」と不満をぶつけるという場面を考えてみましょう。
このような場合に,つい,「こっちは家族のために一生懸命働ているのに,そんな言い方しなくてもいいだろ!」等と考えてしまい,自分は妻から攻撃を受けた被害者であるという視点から,口論になったり,あるいは無視を決め込むようなリアクションをしてしまう世のお父さんも少なくないと思います。
しかし,ここで本来気づくべきなのは,「妻が攻撃してくるということは,困っているということなんだな」ということです。
実際,このような状況で妻がわざわざ夫に対して不満をぶつけるということは,自分1人で子供の面倒を見ている状態が多くなり,色々なストレスや不安を感じて困っているからであることは間違いないですよね。
乳幼児期の子供であれば,単純にお世話が大変ということがあるでしょう。
また,ある程度大きくなってきた子供であれば,学校での出来事だとか,進学のこと,習い事のこと等,その時期に応じた様々な懸念事項が存在します。
夫が家族と触れ合ったり,そのようなことについて話す時間をあまりとってくれないと,妻としては当然不安になりますよね。
つまり,「困って」しまうわけです。
このように,人が他人を攻撃する場面というのは,何かしら「困っている」ことの表れなのです。
このような視点を持つだけで,攻撃をしかけられた時に感じるストレスはかなり軽減されます。
というのも,人は,攻撃を受けたことそのものももちろんストレスに感じますが,それ以上に,
「なぜ自分がこのような攻撃を受けなければならないのか!?」
とか,
「自分は他人から攻撃を受けるようなダメな人間なのか!?」
といった疑問や不安によって,大きなストレスを感じます。
そうであるならば,「相手は何かしら困っているからこそ攻撃してきているんだな。」と思えることで,攻撃されたことそのものに関するストレスは避けられないにしても,相手の攻撃理由に対する疑問や不安によってストレスが倍増するという事態を避けることができるからです。
さて,そうはいっても,やっぱり攻撃されることそのものについても結構なストレスを感じる以上,できることならそれも避けたいですよね。
水島先生は,ちゃんとその点についてもノウハウを伝授してくださっています。
次回の投稿で,他者から攻撃されないようにするためにはどうすればよいのかという点を考えていきたいと思います。
次回もお楽しみに(^^)!
精神科医である水島先生は,「対人関係療法」という精神病の治療法に関する日本の第一人者で,たくさんの著書も出版されている方です。
私は,購読しているPHPで水島先生の記事を拝見する機会を得て,その内容の説得性と,表現のわかりやすさに感動し,気が付いたら先生の本を一気に数冊注文していました。
さて,水島先生の紹介はこれくらいにして,本題に入りましょう。
皆さんは,自分のことを攻撃してくる人が実は「困っている」人だということを考えたことがあるでしょうか。
おそらく,そんな風に考えた経験はない人がほとんどではないかと思います。
私もそうでした。
上記の本を読んでみて,『言われてみればそのとおりだな』とは思いましたが,少なくとも自分自身で「攻撃してくる人=困っている人」という原則を考えたことはありませんでした。
ということで,今日は,「攻撃してくる人=困っている人」という原則について考えていきたいと思います。
この原則については,『「攻撃してくる人=困っている人」とか言うけど,自分は困っている時でも他人を攻撃したりしないし,自分の家族や友達にも自分と同じような人は大勢いる。だから,必ずしも「攻撃してくる人=困っている人」とは言い切れないのではないか(原則とはいえないのではないか)。』
と思う方もいらっしゃるかもしれません。
実際,『困っている人が必ずしも他人を攻撃するわけではない』という点はそのとおりだと思います。
しかし,それは,「困っている人=攻撃してくる人」という公式を否定する根拠にすぎません。
「困っている人=攻撃してくる人」と,「攻撃してくる人=困っている人」は,同一の意味ではありませんよね。
例えば,「人間=生物」は間違いなく成り立ちますが,「生物=人間」とは限りませんよね。
「生物」には,植物も動物も含まれます。
それと同じです。
ちょっと論理法則的な話に偏ってしまったので,元に戻りましょう。
水島先生は,上記の著書において,「攻撃する人」というのは何らかの「脅威」を感じている(=困っている)ため,その脅威から自分を守るための防衛手段の一環として「他人を攻撃する」という選択をしているのだ,と説かれています。
確かに,人が他人を攻撃する時には,(スポーツ等の例外を除いて)怒り,不満,悲しみ,苦しみ等の負の感情を抱いていることがほとんどですよね。
皆さんも,ご自身の経験を振り返っていただければ,誰かと言い争いになったり,暴力をふるってしまったというような経験をしている時には,ほぼ間違いなく何らかの負の感情を抱いていたのではないかと思います。
例えば,会社において,上司が部下に対してパワハラ的な攻撃をしているという場面があったとしましょう。
この時,上司はどんな心境で部下に対してそのような攻撃をしていると思いますか。
上司がドSな人で,部下をいじめることに快感を覚えるからでしょうか。
まあ,世界中探せばそのような例外もあるかもしれませんが,多くの場合は違いますよね。
(上司の目から見て)『部下が自分の期待するとおりに動いてくれない』ことに困っているから,そのような行動に出てしまうわけですよね。
このような分析に対しては,
『いやいや,自分は仕事をきちんとやっているが,単に上司は自分のことが人間的に嫌いだから攻撃をしかけてくるんだ。困っているのとは違う!」
そんな風に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
確かに,仕事上のパフォーマンス以外にも,上司が攻撃をしてくる理由はいくつか考えられるでしょう。
そして,その一つとして,『上司は自分のことを人間として嫌っている』というものもありうると思います。
ただ,その場合も,やはり上司は「困っている」のです。
これは,自分のことで置き換えて考えてみればわかります。
皆さんは,嫌いな人や苦手な人とのコミュニケーションについて,何のストレスや悩みもなく気楽にできますか?
たぶん,そのような相手とのコミュニケーションについて悩ましさを感じない人は,そもそもその相手を「嫌い」とか「苦手」とは思っていないはずです。
コミュニケーションがとりにくい何らかの理由があるからこそ,「嫌い」とか,「苦手」と感じるわけですよね。
そのような,「嫌い」とか「苦手」という意識を持っていること自体が,まさに「困っている」状態なわけです。
夫婦間の口論等も同様です。
夫婦のどちらかが相手に対して攻撃をするときは,何か困っているときです。
例えば,仕事や付き合いを理由になかなか夜早く帰ってこない夫に対して,妻が「もっと早く帰ってきて,子供の面倒を見てよ!」と不満をぶつけるという場面を考えてみましょう。
このような場合に,つい,「こっちは家族のために一生懸命働ているのに,そんな言い方しなくてもいいだろ!」等と考えてしまい,自分は妻から攻撃を受けた被害者であるという視点から,口論になったり,あるいは無視を決め込むようなリアクションをしてしまう世のお父さんも少なくないと思います。
しかし,ここで本来気づくべきなのは,「妻が攻撃してくるということは,困っているということなんだな」ということです。
実際,このような状況で妻がわざわざ夫に対して不満をぶつけるということは,自分1人で子供の面倒を見ている状態が多くなり,色々なストレスや不安を感じて困っているからであることは間違いないですよね。
乳幼児期の子供であれば,単純にお世話が大変ということがあるでしょう。
また,ある程度大きくなってきた子供であれば,学校での出来事だとか,進学のこと,習い事のこと等,その時期に応じた様々な懸念事項が存在します。
夫が家族と触れ合ったり,そのようなことについて話す時間をあまりとってくれないと,妻としては当然不安になりますよね。
つまり,「困って」しまうわけです。
このように,人が他人を攻撃する場面というのは,何かしら「困っている」ことの表れなのです。
このような視点を持つだけで,攻撃をしかけられた時に感じるストレスはかなり軽減されます。
というのも,人は,攻撃を受けたことそのものももちろんストレスに感じますが,それ以上に,
「なぜ自分がこのような攻撃を受けなければならないのか!?」
とか,
「自分は他人から攻撃を受けるようなダメな人間なのか!?」
といった疑問や不安によって,大きなストレスを感じます。
そうであるならば,「相手は何かしら困っているからこそ攻撃してきているんだな。」と思えることで,攻撃されたことそのものに関するストレスは避けられないにしても,相手の攻撃理由に対する疑問や不安によってストレスが倍増するという事態を避けることができるからです。
さて,そうはいっても,やっぱり攻撃されることそのものについても結構なストレスを感じる以上,できることならそれも避けたいですよね。
水島先生は,ちゃんとその点についてもノウハウを伝授してくださっています。
次回の投稿で,他者から攻撃されないようにするためにはどうすればよいのかという点を考えていきたいと思います。
次回もお楽しみに(^^)!