2017 03.17
皆さんは,他者に自分の人生を預けずに,自分自身の人生を生きていますか?
世の中には,他人が自分をどう見ているかであるとか,あるいは,他人と比べて自分はどうなのか,というように,自分という人間を考える際に,他人を基準にしている方が実にたくさんいらっしゃいます。
著書「7つの習慣」において,スティーブン・R・コヴィー博士は,このような状態を「依存」と表現しています。
「依存」は,国語辞典では,「他に頼って存在,または生活すること」とされています。
皆さんの「依存」という言葉に対するイメージも,誰かに頼ったり,甘えたりするような,そんな感じではないでしょうか。
あるいは,アルコール依存症,薬物依存症などをイメージされる方もいらっしゃると思います。
しかし,コヴィー博士が著書において説明されている「依存」状態は,もう少し広い概念といえます。
コヴィー博士は,依存状態から脱して,一個人として成長した段階を「自立」と表現し,さらに,自立した人間同士が合わさって,1人で生み出せない価値を創造する状態に至ることを「相互依存」と表現しています。
(※「相互依存」というと,お互いに頼りあって,甘えあっている傷のなめ合い状態のようなイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが,ここでは,一個人としてしっかりとしたパフォーマンスを発揮できる人間同士が,お互いの良いところを活かしあったり,自分にないものを補いあったりして,大きな価値を生み出すという状態を指しています。)
コヴィー博士の言う「自立」状態とは,主体的に行動を選択し(第1の習慣),自らの求める理想の自分や組織,家庭等を具体的に思い描き(=言葉で表現できる程明確に決定し)(第2の習慣),そして,思い描いた理想のイメージに近づくための最優先事項を優先すること(第3の習慣)を実践している状態をいいます。
逆に言えば,
・他者から見てどうかであるとか,他者はどう考えているかという自分の枠外の情報を基準に行動を選択し
・自分の求める理想の自分を思い描いておらず,他者に認められているかどうかや,他者と比較して優れているかどうかという視点で自分を測り
・自分らしく,自分が最も理想とする状態に近づくための最優先事項を優先していない
という状態が,コヴィー博士の言う「依存」状態ということになります。
もっとも,日本においては,「依存」状態のままで日々人生を送っていらっしゃる方が多いのも無理からぬところであると思います。
なぜなら,学校に通っている間の子供時代は,学業や部活動等について,常に成績が付きまとい,しかもその成績は,どうしても他者と比べられやすいものだからです。
(実際は学校における成績も他者と比べる必要性は皆無なのですが,そういう姿勢で教育を行っている学校は少ないですよね。)
しかも,大抵は親もそのように他者と比べられて育ってきてしまっていることが多いため,
「○○君と比べてお前はまだまだだな。」とか,「○○ちゃんの方がもっと頑張ってるわよ!」とか,そんなことを言われることが日常茶飯事な環境で,多感な子ども時代を過ごすわけです。
それに,親の顔色を伺いながら意思決定をしていなければならないことも多いため,どうしても,『自分がどうしたいか』ではなく,『親がどう思うか』といった基準で行動を選択する習慣がついてしまう人も少なくありません。
そりゃあ,よほどのきっかけがないと,大人になっても「依存」状態が続いてしまうのも無理はないですよね。
でも,「依存」状態にある人は,日々辛いことが多いと思います。
「依存」状態にある方の場合,人生が思いどおりにいかないと感じる時,常にそこには,直接コントロールできない「他人」が原因としてつきまといます。
『あの人が俺を認めてくれない。』
『あの人は私を大事にしてくれない。』
『あの人に比べて,なんて自分はダメなんだろう・・・』
『あの人ばっかり周りから評価されてずるい!』
『あの人は自分のことをどう思っているのだろう?ああ,嫌われていたらどうしよう?』
こんなことを日々考えて,一喜一憂を繰り返していることと思います。
「依存」状態にある人は,“他人は直接コントロールできないので,そこに思考やエネルギーを注ぐことは無意味である”という原則を念頭に置くことができず,他人の言動で一喜一憂する日々が続いていくわけです。
「一喜」の方はまだいいですが,「一憂」は辛いですよね。そして,大抵,こういう方は「一憂」の方が圧倒的に多いです。
私は,このような「依存」状態にあって日々苦しい思いをしている方々に,ぜひお伝えしたいことがあります。
それは,人生における行動選択の基準を「他人から見てどう見えるか」とか,「他人から認めてもらえるか」といった,他人に預けるのではなく,自らが「こんな自分でいたい」という理想の自分を思い描き,常に,「理想の自分に近づくためにはどうしたらよいか」という,「自分」を中心軸とした基準としてほしいということです。
『そんなこと言われても,理想の自分なんて全然思い浮かばないよ!』
という方もいらっしゃるでしょう。
そういう方は,自分が尊敬し,『この人のようになりたい』と思う憧れの存在を,1つの理想モデルとして見てください。
そして,人生におけるあらゆる行動選択を,常に,『○○さんだったらどうするか』ということを基準に決めてください。
例えば,私はコヴィー博士や孔子が憧れの存在なので,『彼らならどうするか』ということを基準にすることが頻繁にあります。
理想モデルとする憧れの存在は,私のように,一度も会ったことのない著名人や歴史上の人物でもいいですし,身近な上司や先輩でももちろんOKです。
大事なことは,『他人がどう思うか,どう評価するか』といった,自分がコントロールできない枠外のことに振り回されるのではなく,『自分がどうしたいか,自分はどんな存在でありたいのか』ということを念頭に置くことです。
あなたの人生は,他の誰でもない,唯一無二のあなただけのものです。
そんな唯一無二の自分だけの人生を,他人に預けるなんてもったいないじゃないですか。
ぜひ,あなたが求める理想モデルを思い描いて,自分が歩みたい人生を追い求めて行動を選んでいってください(^^)
世の中には,他人が自分をどう見ているかであるとか,あるいは,他人と比べて自分はどうなのか,というように,自分という人間を考える際に,他人を基準にしている方が実にたくさんいらっしゃいます。
著書「7つの習慣」において,スティーブン・R・コヴィー博士は,このような状態を「依存」と表現しています。
「依存」は,国語辞典では,「他に頼って存在,または生活すること」とされています。
皆さんの「依存」という言葉に対するイメージも,誰かに頼ったり,甘えたりするような,そんな感じではないでしょうか。
あるいは,アルコール依存症,薬物依存症などをイメージされる方もいらっしゃると思います。
しかし,コヴィー博士が著書において説明されている「依存」状態は,もう少し広い概念といえます。
コヴィー博士は,依存状態から脱して,一個人として成長した段階を「自立」と表現し,さらに,自立した人間同士が合わさって,1人で生み出せない価値を創造する状態に至ることを「相互依存」と表現しています。
(※「相互依存」というと,お互いに頼りあって,甘えあっている傷のなめ合い状態のようなイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが,ここでは,一個人としてしっかりとしたパフォーマンスを発揮できる人間同士が,お互いの良いところを活かしあったり,自分にないものを補いあったりして,大きな価値を生み出すという状態を指しています。)
コヴィー博士の言う「自立」状態とは,主体的に行動を選択し(第1の習慣),自らの求める理想の自分や組織,家庭等を具体的に思い描き(=言葉で表現できる程明確に決定し)(第2の習慣),そして,思い描いた理想のイメージに近づくための最優先事項を優先すること(第3の習慣)を実践している状態をいいます。
逆に言えば,
・他者から見てどうかであるとか,他者はどう考えているかという自分の枠外の情報を基準に行動を選択し
・自分の求める理想の自分を思い描いておらず,他者に認められているかどうかや,他者と比較して優れているかどうかという視点で自分を測り
・自分らしく,自分が最も理想とする状態に近づくための最優先事項を優先していない
という状態が,コヴィー博士の言う「依存」状態ということになります。
もっとも,日本においては,「依存」状態のままで日々人生を送っていらっしゃる方が多いのも無理からぬところであると思います。
なぜなら,学校に通っている間の子供時代は,学業や部活動等について,常に成績が付きまとい,しかもその成績は,どうしても他者と比べられやすいものだからです。
(実際は学校における成績も他者と比べる必要性は皆無なのですが,そういう姿勢で教育を行っている学校は少ないですよね。)
しかも,大抵は親もそのように他者と比べられて育ってきてしまっていることが多いため,
「○○君と比べてお前はまだまだだな。」とか,「○○ちゃんの方がもっと頑張ってるわよ!」とか,そんなことを言われることが日常茶飯事な環境で,多感な子ども時代を過ごすわけです。
それに,親の顔色を伺いながら意思決定をしていなければならないことも多いため,どうしても,『自分がどうしたいか』ではなく,『親がどう思うか』といった基準で行動を選択する習慣がついてしまう人も少なくありません。
そりゃあ,よほどのきっかけがないと,大人になっても「依存」状態が続いてしまうのも無理はないですよね。
でも,「依存」状態にある人は,日々辛いことが多いと思います。
「依存」状態にある方の場合,人生が思いどおりにいかないと感じる時,常にそこには,直接コントロールできない「他人」が原因としてつきまといます。
『あの人が俺を認めてくれない。』
『あの人は私を大事にしてくれない。』
『あの人に比べて,なんて自分はダメなんだろう・・・』
『あの人ばっかり周りから評価されてずるい!』
『あの人は自分のことをどう思っているのだろう?ああ,嫌われていたらどうしよう?』
こんなことを日々考えて,一喜一憂を繰り返していることと思います。
「依存」状態にある人は,“他人は直接コントロールできないので,そこに思考やエネルギーを注ぐことは無意味である”という原則を念頭に置くことができず,他人の言動で一喜一憂する日々が続いていくわけです。
「一喜」の方はまだいいですが,「一憂」は辛いですよね。そして,大抵,こういう方は「一憂」の方が圧倒的に多いです。
私は,このような「依存」状態にあって日々苦しい思いをしている方々に,ぜひお伝えしたいことがあります。
それは,人生における行動選択の基準を「他人から見てどう見えるか」とか,「他人から認めてもらえるか」といった,他人に預けるのではなく,自らが「こんな自分でいたい」という理想の自分を思い描き,常に,「理想の自分に近づくためにはどうしたらよいか」という,「自分」を中心軸とした基準としてほしいということです。
『そんなこと言われても,理想の自分なんて全然思い浮かばないよ!』
という方もいらっしゃるでしょう。
そういう方は,自分が尊敬し,『この人のようになりたい』と思う憧れの存在を,1つの理想モデルとして見てください。
そして,人生におけるあらゆる行動選択を,常に,『○○さんだったらどうするか』ということを基準に決めてください。
例えば,私はコヴィー博士や孔子が憧れの存在なので,『彼らならどうするか』ということを基準にすることが頻繁にあります。
理想モデルとする憧れの存在は,私のように,一度も会ったことのない著名人や歴史上の人物でもいいですし,身近な上司や先輩でももちろんOKです。
大事なことは,『他人がどう思うか,どう評価するか』といった,自分がコントロールできない枠外のことに振り回されるのではなく,『自分がどうしたいか,自分はどんな存在でありたいのか』ということを念頭に置くことです。
あなたの人生は,他の誰でもない,唯一無二のあなただけのものです。
そんな唯一無二の自分だけの人生を,他人に預けるなんてもったいないじゃないですか。
ぜひ,あなたが求める理想モデルを思い描いて,自分が歩みたい人生を追い求めて行動を選んでいってください(^^)