阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属 阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属

2017 02.20

人としての「在り方」(=どんな人間でいたいか)を決めることの重要性


皆さんは,「自分がどんな人間でいたいか」について,明確に考えたことがあるでしょうか。


さらには,考えるだけでなく,それを言葉にして人に話したり,さらには文字にして書いたりしたことはあるでしょうか。


おそらく,ほとんどの方は,答えが「NO」ではないかと思います。


そりゃそうですよね。普通に生きていたらそんなこと考える機会はなかなかありませんし。


しかしながら,人生において,人としての「在り方」をしっかりと定めておくかそうでないかで,充実度は雲泥の差となります。


これは原則です。誰しもに当てはまります。


なぜそんなことが言い切れるのかについて,以下お話ししていきたいと思います。


よく,成功したければ,人生における様々な事柄(仕事,プライベート,趣味など)についてきちんと目標を定めようという話がありますよね。


それはそれできちんと理由のある正論なのですが,10年以上先の長期目標とか今決めるのは難しいという方も少なくないと思います。


私はそれでも全然問題ないと考えています。


実際,1年後くらいであればある程度は具体的なイメージができますが,10年後となると,その間の10年間次第でいくらでも変わりうるものなので,具体的にイメージすることはなかなか難しいですよね。


それに,今この瞬間にやりたいこと,自分がなすべきだと思うことを夢中になってやり続けていたらいつの間にか成功していた,という話もしばしば聞くところです。


このように,「これから何を成し遂げたいのか。」ということについては明確に定まっていなくとも,人は1つのことに集中して,ブレずにそれを続けることができる場合があります。


(もちろん,目標設定や行動計画を立てることに苦手意識を感じない人や,むしろ,そうしないとなかなか日々の実践ができないという方は,ぜひぜひ長期目標を設定することを強くお勧めします。)


これに対して,「どんな人間でいたいか(=自分が目指す「在り方」)」ということはどうでしょうか。


決まっていても決まっていなくても人生にはさほど影響はないでしょうか。


そんなことはありません。


例えば,皆さんは日々の服装を考える時に,どんなことを基準にしていますか。


多くの場合,


「自分自身がその服を着ていて気分が良くなるかどうか」


もしくは,


「その服を着ていることで周りからどんなふうに見られるか」


のどちらかではないでしょうか。


(※制服等,置かれている環境上着ざるを得ないものを着る場合ではなく,あくまで,ある程度自分が自由に服装を選べる状況を想定してください。)


前者は,その服装が自分らしくいられるものかどうか,ということが重視されているといえます。


後者は,他者からどんな人間として見られたいか,ということが重視されているといえます。


さて,自分らしくいられるかどうかということも,他者からどんな人間として見られたいかということも,角度は異なりますが,結局のところ同一の願望が根底にあります。


それは,自分が目指す「理想の自分」に近づきたい,という願望です。


自分自身の気分が良くなるような服装というのは,自分が着たいと思う服装ですから,シンプルに自分が望むような自分でいられる(=自分らしくいられる)姿ということができます。


まさに,「理想の自分」を追い求める形といえますね。


また,他者からどんな人間としてみられたいか,という視点も,結局のところ,「自分自身がそう在りたいと思う姿」を追い求める姿勢であることに変わりありません。


例えば,明るく活発なタイプではないし,自分自身そうなりたいと思っているわけでもないのに,わざわざ周りから見て「明るくて活発な感じに見える」服装をしようとする人はいるでしょうか。


いませんよね。


ここでいう「理想の自分」とは,すなわち,「どんな人間でいたいか」という質問に対する回答とイコールです。


そう,服装を決める時には,多くの人が,「自分はどんな人間でいたいのか」ということをほとんど無意識に考えているのです。


ところが,「人生において目指す人間像」という視点では,なかなかこれを真剣に考えて,言葉で表現することを試みたことがある人はごくわずかです。


おかしいと思いませんか?


確かに服装は日々の生活においてとても重要な要素ですが,それだけで人生の全てが決まるわけではありませんよね。


他にも,人生において,自分にとって重要な選択となる場面はたくさんあります。


そのような場面ごとに,服装を決めるのと同じく,「どうすれば自分の追い求める理想の自分に近づけるか」という判断基準に基づいて行動を選択していくのと,そのような基準を意識せずに,行き当たりばったりで人生の選択を積み重ねていくことと,どちらの方が,自分がなりたい自分に近づけると思いますか?


間違いなく,前者の方が「理想の自分」に近づいていける確率が高いですよね。


だとしたら,人生の様々な場面において,(服装を決める時と同じように)自分の判断基準となる「理想の自分」(=どんな人間でいたいか)を明確にするということは,自分らしく楽しい人生を送る上で極めて重要な意味を持っているといえるのではないでしょうか。


世界中で3000万部以上販売されているスティーブン・R・コヴィー博士著「7つの習慣」では,第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」に関する章の冒頭において,読者に対し,


「あなたのお葬式において,どんな弔辞を読んでもらいたいか」


という質問がなされます。


そして,コヴィー博士は,この質問に答えるために,自分自身の個人としての憲法ともいうべき「ミッションステートメント」を作成することをこの章で読者に強く勧めています。


「自分がどんな人間でいたいのか」を考えることが,幸せな人生を送る上でいかに重要であるかを物語っているといえますね。


さて,じゃあ私自身はどうなのかと言いますと,私は自分が追い求める「在り方」を以下のように決めています。


『論語の教えである五常(仁・義・礼・智・信)を基本的な行動理念とし,他の人々との間でwin-winの関係を築きながら,他の人々に幸せになる勇気を与えられる人間で在る』


まあ,実際のところはまだまだまだ理想の自分とは程遠いですが,ビジネスにおいてもプライベートにおいても,このような自分の目指す「在り方」を前提に日々の行動選択を積み重ねているので,とても楽しく充実した人生をおくることができています。


ちなみに,これを会社に置き換えたものがいわゆる経営理念とか,経営ビジョンと呼ばれるものです。


すなわち,「どんな会社で在りたいのか」,「どんな会社として社会の人々に認知されたいのか」という理想の姿ですね。


(※なお,経営理念については,また日を改めて別稿で深めていきたいと思っています。)


ぜひ皆さんも,自分が目指す「理想の自分」を具体的に思い描き,人に語ったり,文字に起こしてみてくださいね!