2017 01.24
人間関係を良好にするコツ⑭~他者の行動の背景(原因)を考える~
誰しも,日々他者の言動によって怒りや苛立ち,不満等を感じ,その不快感情を相手に態度で示した結果,相手と口論になったり,険悪なムードになったりすることがあると思います。
そんなとき,ほとんどの人はだいたいこんな風に思うことが多いはずです。
「なんでそんなこと言うんだろう(こんなことするんだろう)。信じられない!!」
「言ってることはわからないでもないけど,なんでそんな言い方しかできないの!?」
どうですか?
よくこんな風に思うことありませんか?
ところが,不思議なことに,実際に上記の「なんで?」という部分を掘り下げて考えてみようという人はなかなかいません。
「相手の行動は意味不明だ。」
とか,
「とにかく酷い!!」
という感情的な思いが先行してしまい,「なんで?」という疑問に対する思考はどこかにいってしまうのですね。
私は,これはとても非効果的なことだと思っています。
まず,ただただ苛立ちや不満が募るばかりで精神衛生上よくないですよね。
それに,一方的な思い込みにより,不必要に他者との関係性が悪くなってしまう恐れも大きくなってしまいます。
要するに,その人にとって何一つ良いことがないのです。
そんな一般論を踏まえて皆さんにお伝えしたいことが,本稿のサブタイトルである「他者の行動の背景(原因)を考える」ということの重要性です。
例えば,最近,こんなご相談を受けたことがありました。
「交通事故に遭って,実況見分(※事故現場の状況や,事故の経緯等について詳細に調査する手続)に立ち会ったのですが,担当した若い警察官が,完全にこちらが悪いと決めつけている態度で,責められるような話をされたので,腹が立ってちょっと言い合いになったんですよねー。」
この事案は,必ずしも事故の原因についてご相談者様が一方的に悪いとは言い切れない微妙な事案でした。
確かに,そのような状況で,こちらが一方的に悪いと決めつけられるのは気分が悪いですよね。
では,なぜその警察官はそんな態度に出たのでしょうか。
その行動の背景(原因)はどんなものが考えられますか。
ここからが大事です。
私はその話を聞いた時,以下のような背景を考えました。
・「若い警察官」ということだったので,まだ経験が浅く,一般市民に対する適切な接し方について習熟していないのではないか。
・「若い警察官」ということだったので,まだ経験が浅く,事故の責任については単純に決めつけにくい要素がたくさんあることについてあまり思いが至らなかったのではないか。
・事故の相手方が,先に相手方にとって都合の良い話をしていて,その話を前提に事故のイメージ(こちらの方が責任が重い事故であるというイメージ)を形成してしまっているのではないか。
もちろん,私は交通事故紛争の専門家だからこそこのような考えに思い至っているという部分はありますので,誰しもが同じような想像を巡らせることができるとは言いません。
ただ,当該警察官は,その人なりの経験と,その時点で得た情報を基にして,その人なりに正しいと思うことを前提に話をしているだけで,別に悪気があって(あえて)こちらを責めるような態度をとっているわけではないのではないか,と想像することは,そこまで難しいことではないと思います。
というのも,上記のように一方当事者を責めるという行動は,当該警察官にとって特にプラスな効果を何も生み出しません。
給与が上がるわけでもないですし,上司の評価が上がるということもないでしょう。
それどころか,結果的には一般市民から悪印象を持たれてしまっているので,むしろマイナスな効果が発生してしまっているといえます。
では,どうしてわざわざそんな何の得にもならない行動をとるのでしょうか。
人が他人を責めるときというのは,ごく少数の例外を除けば,責めることそのものに喜びや楽しさを見出しているのではなく,自分の価値観や正義感に照らして,相手に非難されるべき要素(問題点)があると感じるときです。
子供が何も悪さをしていないのに,叩いたり,「何やってるの!!」などと叱りつける親はいませんよね。
子供が,親から見て問題があると感じる行動をとった時に,叱ったりするわけです。
それと同じで,自分の主観から,他者の言動に問題を感じた場合に,人は『相手を責める』という行動をとるわけです。
この,『自分の主観から』というところが非常に重要です。
私が言っている『行動の背景』というのは,まさに,この『主観』の形成過程のことです。
どのような経緯があって,そのような主観(≒パラダイム。自分なりのイメージで捉えた世界)が作られていったのかについて,想像していただきたいということなんです。
上記の警察官の例でいえば,その警察官なりに,事故のイメージや,当該事故に対する責任原因の評価等といった『主観』が,それまでのその人の経験等の情報から形成されていったわけです。
そして,その発露として,責めるような発言が出てきたのですね。
もちろん,背景が見えてきたところで,腹立たしいものは腹立たしいとは思います。
私も,同じ状況に立てば,相手の発言に対して苛立ちを感じることはあると思います。
ただ,背景について想像を巡らせてみると,
『まあ,別にこの人も悪気があってこういうこと言っているわけじゃないんだし,“こちらの方が責任が重い”という主観が作られちゃっている以上は,しょうがないよな。』
というように考えることができ,自然に苛立ちや腹立たしさがおさまってくるだろうと思います。
咄嗟にこのような想像を張り巡らせることは簡単ではありませんが,少なくとも,『この人は今そういう主観をもってこちらに接してきているんだな。』と考えるだけで,心の落ち着き具合はだいぶ変わります。
ぜひ意識してみてくださいね!
そんなとき,ほとんどの人はだいたいこんな風に思うことが多いはずです。
「なんでそんなこと言うんだろう(こんなことするんだろう)。信じられない!!」
「言ってることはわからないでもないけど,なんでそんな言い方しかできないの!?」
どうですか?
よくこんな風に思うことありませんか?
ところが,不思議なことに,実際に上記の「なんで?」という部分を掘り下げて考えてみようという人はなかなかいません。
「相手の行動は意味不明だ。」
とか,
「とにかく酷い!!」
という感情的な思いが先行してしまい,「なんで?」という疑問に対する思考はどこかにいってしまうのですね。
私は,これはとても非効果的なことだと思っています。
まず,ただただ苛立ちや不満が募るばかりで精神衛生上よくないですよね。
それに,一方的な思い込みにより,不必要に他者との関係性が悪くなってしまう恐れも大きくなってしまいます。
要するに,その人にとって何一つ良いことがないのです。
そんな一般論を踏まえて皆さんにお伝えしたいことが,本稿のサブタイトルである「他者の行動の背景(原因)を考える」ということの重要性です。
例えば,最近,こんなご相談を受けたことがありました。
「交通事故に遭って,実況見分(※事故現場の状況や,事故の経緯等について詳細に調査する手続)に立ち会ったのですが,担当した若い警察官が,完全にこちらが悪いと決めつけている態度で,責められるような話をされたので,腹が立ってちょっと言い合いになったんですよねー。」
この事案は,必ずしも事故の原因についてご相談者様が一方的に悪いとは言い切れない微妙な事案でした。
確かに,そのような状況で,こちらが一方的に悪いと決めつけられるのは気分が悪いですよね。
では,なぜその警察官はそんな態度に出たのでしょうか。
その行動の背景(原因)はどんなものが考えられますか。
ここからが大事です。
私はその話を聞いた時,以下のような背景を考えました。
・「若い警察官」ということだったので,まだ経験が浅く,一般市民に対する適切な接し方について習熟していないのではないか。
・「若い警察官」ということだったので,まだ経験が浅く,事故の責任については単純に決めつけにくい要素がたくさんあることについてあまり思いが至らなかったのではないか。
・事故の相手方が,先に相手方にとって都合の良い話をしていて,その話を前提に事故のイメージ(こちらの方が責任が重い事故であるというイメージ)を形成してしまっているのではないか。
もちろん,私は交通事故紛争の専門家だからこそこのような考えに思い至っているという部分はありますので,誰しもが同じような想像を巡らせることができるとは言いません。
ただ,当該警察官は,その人なりの経験と,その時点で得た情報を基にして,その人なりに正しいと思うことを前提に話をしているだけで,別に悪気があって(あえて)こちらを責めるような態度をとっているわけではないのではないか,と想像することは,そこまで難しいことではないと思います。
というのも,上記のように一方当事者を責めるという行動は,当該警察官にとって特にプラスな効果を何も生み出しません。
給与が上がるわけでもないですし,上司の評価が上がるということもないでしょう。
それどころか,結果的には一般市民から悪印象を持たれてしまっているので,むしろマイナスな効果が発生してしまっているといえます。
では,どうしてわざわざそんな何の得にもならない行動をとるのでしょうか。
人が他人を責めるときというのは,ごく少数の例外を除けば,責めることそのものに喜びや楽しさを見出しているのではなく,自分の価値観や正義感に照らして,相手に非難されるべき要素(問題点)があると感じるときです。
子供が何も悪さをしていないのに,叩いたり,「何やってるの!!」などと叱りつける親はいませんよね。
子供が,親から見て問題があると感じる行動をとった時に,叱ったりするわけです。
それと同じで,自分の主観から,他者の言動に問題を感じた場合に,人は『相手を責める』という行動をとるわけです。
この,『自分の主観から』というところが非常に重要です。
私が言っている『行動の背景』というのは,まさに,この『主観』の形成過程のことです。
どのような経緯があって,そのような主観(≒パラダイム。自分なりのイメージで捉えた世界)が作られていったのかについて,想像していただきたいということなんです。
上記の警察官の例でいえば,その警察官なりに,事故のイメージや,当該事故に対する責任原因の評価等といった『主観』が,それまでのその人の経験等の情報から形成されていったわけです。
そして,その発露として,責めるような発言が出てきたのですね。
もちろん,背景が見えてきたところで,腹立たしいものは腹立たしいとは思います。
私も,同じ状況に立てば,相手の発言に対して苛立ちを感じることはあると思います。
ただ,背景について想像を巡らせてみると,
『まあ,別にこの人も悪気があってこういうこと言っているわけじゃないんだし,“こちらの方が責任が重い”という主観が作られちゃっている以上は,しょうがないよな。』
というように考えることができ,自然に苛立ちや腹立たしさがおさまってくるだろうと思います。
咄嗟にこのような想像を張り巡らせることは簡単ではありませんが,少なくとも,『この人は今そういう主観をもってこちらに接してきているんだな。』と考えるだけで,心の落ち着き具合はだいぶ変わります。
ぜひ意識してみてくださいね!