2016 12.02
人間関係を良好にするコツ⑪~他者に期待しすぎない~
弁護士として様々なご相談を受ける中で,なぜ世の中の多くの人は,こんなにも他者の言動に対して怒り,悲しみ,失望感等を感じるのかと考えるようになりました。
まだ完全な答えが見つかったわけではないのですが,1つ気づいたことがあります。
それは,人間関係が乱れているケースの多くにおいて,『一方又は双方の当事者が,相手に対して過剰な期待を抱いている』という共通要因が見られることです。
例えば夫婦関係で考えてみましょう。
離婚問題に発展する多くのケースにおいて,夫ないし妻は,相手に対して,自分の理想とするパートナー像を求めながら夫婦生活を続けていった結果,現実と理想のギャップにストレスを感じ,「この人は自分のパートナーとして相応しくない。」というように考えるようになっていきます。
よく,離婚原因として「性格の不一致」という言葉が使われることがありますが,実際のところ,「性格の不一致」と言われるケースのほとんどは,この,『相手に対して自分が求めている理想像と現実とのギャップに対するストレス』が本当の離婚原因だというのが私の解釈です。
ご結婚されている皆さん,思い当たる節はありませんか?
そういう私も,結婚してしばらくの間は,自分が求める理想の妻像と現実の妻の考え方や人格とのギャップに悩んでいました。
「7つの習慣」や選択理論と出会っていなければ,今でも変わらずその悩みを抱えていたかもしれません。
「7つの習慣」や選択理論を通じて,それぞれの人が持つ固有かつ至高の価値を知ることができたことや,自分にとって都合が良すぎる人間関係はかえって自分を堕落させ,成長を妨げるということに気づくことができてからは,ありのままの妻の存在に大きな感謝と尊敬の気持ちが湧き上がるようになり,理想と現実のギャップに悩むということはなくなりました。
さて,話を戻しましょう。
ご結婚されている皆様であれば多かれ少なかれ感じたことがおありではないかと思いますが,実際のところ,パートナーに対して求める理想像に現実が伴うことなどまずありません。
そりゃそうですよね。
だって,人はそれぞれ,その人が生きたいように生きているのであって,(自分自身は求めていないのに)他人が求める人格を形成しようとして生きる人などいません。
実際,逆の立場になって考えてみれば,パートナーが自分に対して求める理想像が自分が在りたい姿と違っていた場合,「そんな理想像を求められても困るよ~」となりますよね。
(まれに,お互いが相手に求める理想像と現実の人格がほとんど一致している夫婦もいらっしゃるかもしれませんが,それは,相手が求めている人格と,自分自身が求めている自分らしさが合致しているという非常にレアなケースだと考えるべきでしょう。)
このように,相手が自分の理想どおりに対応してくれるということを過剰に期待してしまうことが,人間関係を破壊する要因になってしまうのです。
では,どうすべきか。
一切相手に期待するなとは言いません。
むしろ,全く期待しないというのもそれはそれで問題です。
なぜなら,人は他人から期待されることに対して幸せを感じるようにできているため,一切期待されていないという状況はその人の不幸感を助長し,かえって人間関係の破壊につながってしまいかねないからです。
なので,「期待しすぎない」ようにしてみてください。
イメージでいうと,自分が求める理想的対応の3割くらいが満たされれば十分ありがたいというような感じでしょうか。
最初から,おそらく理想どおりに動いてはくれないだろうと考えておけば,実際に理想どおりに動いてくれなくてもギャップは感じませんので,大したストレスにはなりません。
それどころから,もし自分が想定していたよりも理想に近い対応をしてもらえたら,ものすごくありがたく感じられますよね。
それから,「期待をする」という選択をした自分の判断に責任を持ってください。
これ,ものすごく大事なことです。本投稿の肝といっても過言ではありません。
実際に相手が期待どおりに動いてくれるかどうかは完全にはコントロールできない領域であるにもかかわらず,『相手に期待する』という選択を決断したのは,他ならぬ自分自身です。
つまり,「相手が動いてくれない可能性」というリスクを引き受けて,それでも相手に「期待する」という選択をしたわけですよね。
不謹慎な例えかもしれませんが,ある意味ではギャンブルと一緒なんですよ。
自分でこの馬だ,と決めて馬券を買うときは,当然ながら,外れるリスクを織り込み済みで馬券を買う(=特定の馬が勝利することに「期待する」)という選択をしているわけですよね。
事前に予想できるリスクを踏まえた上で決断し,「期待する」という行動を選択している点は同じなわけです。
そうであるならば,仮にそのリスク(=相手が期待どおりに動いてくれないリスク)が顕在化したとしても,それを織り込み済みで決断した以上,期待どおりに動いてくれない相手を非難するのは筋違いです。
馬券が外れた時に,勝てなかった馬を非難するのと根本的には変わらないわけですね。
そこで考えるべきなのは,
『期待するという選択をした判断に誤りがあったかどうか』
あるいは,
『相手が期待どおりの動きをしてくれるように自分自身ができることはなかったかどうか』
です。
例えば,会社における上司と部下の関係でイメージしてみましょう。
まず前者の例ですが,ある社員の適性になじまない仕事について,(そのことに気づかずに)適性を持っている人と同レベルの成果を期待するのは,期待するという選択をした判断(もしくは判断過程)に誤りがあったといえますよね。
これは,その経験を学びとして,社員の適性に関する情報収集を工夫するなど,今後同様の判断ミスがないようにしていけばそれでよいでしょう。
次に後者の例についてですが,例えば,上司がある仕事を部下に依頼した場合で,部下が早期に上司に相談してくれれば解決できたことを部下が相談できず,結果として仕事がうまく進まなかったというケースを考えてみましょう。
このような場合,上司が頻繁に声をかけて,相談しやすい空気をつくっておいたり,部下のことを気にかけていることを(部下に)感じてもらえるようにしておけば,依頼した仕事を進める上での悩みをすぐに相談してもらって,その結果,滞りなく仕事を完遂できた可能性が十分にありますよね。
そうであるならば,部下が期待どおりに動いてくれるように上司としてできることがあったのにそれをしていなかったということを反省し,今後はもっと部下が相談しやすいように●●の行動をする,という具体的目標を立てて,これを実践する,というように成長していけばいいのです。
以上,今回の投稿では,
・相手に過剰な期待を抱かず,理想の30%くらいが満たされれば十分だと考えておく
・リスクを甘受した上で「相手に期待する」という選択をした自分の判断に責任を持つ。(期待どおりではない)結果に対しても,相手に非難を向けるのではなく,自分自身の判断の是非や,結果達成に向けてやるべき行動の有無を考える。
という視点についてお伝えいたしました。
皆さんの人間関係良好化の一助になれば幸いです。
まだ完全な答えが見つかったわけではないのですが,1つ気づいたことがあります。
それは,人間関係が乱れているケースの多くにおいて,『一方又は双方の当事者が,相手に対して過剰な期待を抱いている』という共通要因が見られることです。
例えば夫婦関係で考えてみましょう。
離婚問題に発展する多くのケースにおいて,夫ないし妻は,相手に対して,自分の理想とするパートナー像を求めながら夫婦生活を続けていった結果,現実と理想のギャップにストレスを感じ,「この人は自分のパートナーとして相応しくない。」というように考えるようになっていきます。
よく,離婚原因として「性格の不一致」という言葉が使われることがありますが,実際のところ,「性格の不一致」と言われるケースのほとんどは,この,『相手に対して自分が求めている理想像と現実とのギャップに対するストレス』が本当の離婚原因だというのが私の解釈です。
ご結婚されている皆さん,思い当たる節はありませんか?
そういう私も,結婚してしばらくの間は,自分が求める理想の妻像と現実の妻の考え方や人格とのギャップに悩んでいました。
「7つの習慣」や選択理論と出会っていなければ,今でも変わらずその悩みを抱えていたかもしれません。
「7つの習慣」や選択理論を通じて,それぞれの人が持つ固有かつ至高の価値を知ることができたことや,自分にとって都合が良すぎる人間関係はかえって自分を堕落させ,成長を妨げるということに気づくことができてからは,ありのままの妻の存在に大きな感謝と尊敬の気持ちが湧き上がるようになり,理想と現実のギャップに悩むということはなくなりました。
さて,話を戻しましょう。
ご結婚されている皆様であれば多かれ少なかれ感じたことがおありではないかと思いますが,実際のところ,パートナーに対して求める理想像に現実が伴うことなどまずありません。
そりゃそうですよね。
だって,人はそれぞれ,その人が生きたいように生きているのであって,(自分自身は求めていないのに)他人が求める人格を形成しようとして生きる人などいません。
実際,逆の立場になって考えてみれば,パートナーが自分に対して求める理想像が自分が在りたい姿と違っていた場合,「そんな理想像を求められても困るよ~」となりますよね。
(まれに,お互いが相手に求める理想像と現実の人格がほとんど一致している夫婦もいらっしゃるかもしれませんが,それは,相手が求めている人格と,自分自身が求めている自分らしさが合致しているという非常にレアなケースだと考えるべきでしょう。)
このように,相手が自分の理想どおりに対応してくれるということを過剰に期待してしまうことが,人間関係を破壊する要因になってしまうのです。
では,どうすべきか。
一切相手に期待するなとは言いません。
むしろ,全く期待しないというのもそれはそれで問題です。
なぜなら,人は他人から期待されることに対して幸せを感じるようにできているため,一切期待されていないという状況はその人の不幸感を助長し,かえって人間関係の破壊につながってしまいかねないからです。
なので,「期待しすぎない」ようにしてみてください。
イメージでいうと,自分が求める理想的対応の3割くらいが満たされれば十分ありがたいというような感じでしょうか。
最初から,おそらく理想どおりに動いてはくれないだろうと考えておけば,実際に理想どおりに動いてくれなくてもギャップは感じませんので,大したストレスにはなりません。
それどころから,もし自分が想定していたよりも理想に近い対応をしてもらえたら,ものすごくありがたく感じられますよね。
それから,「期待をする」という選択をした自分の判断に責任を持ってください。
これ,ものすごく大事なことです。本投稿の肝といっても過言ではありません。
実際に相手が期待どおりに動いてくれるかどうかは完全にはコントロールできない領域であるにもかかわらず,『相手に期待する』という選択を決断したのは,他ならぬ自分自身です。
つまり,「相手が動いてくれない可能性」というリスクを引き受けて,それでも相手に「期待する」という選択をしたわけですよね。
不謹慎な例えかもしれませんが,ある意味ではギャンブルと一緒なんですよ。
自分でこの馬だ,と決めて馬券を買うときは,当然ながら,外れるリスクを織り込み済みで馬券を買う(=特定の馬が勝利することに「期待する」)という選択をしているわけですよね。
事前に予想できるリスクを踏まえた上で決断し,「期待する」という行動を選択している点は同じなわけです。
そうであるならば,仮にそのリスク(=相手が期待どおりに動いてくれないリスク)が顕在化したとしても,それを織り込み済みで決断した以上,期待どおりに動いてくれない相手を非難するのは筋違いです。
馬券が外れた時に,勝てなかった馬を非難するのと根本的には変わらないわけですね。
そこで考えるべきなのは,
『期待するという選択をした判断に誤りがあったかどうか』
あるいは,
『相手が期待どおりの動きをしてくれるように自分自身ができることはなかったかどうか』
です。
例えば,会社における上司と部下の関係でイメージしてみましょう。
まず前者の例ですが,ある社員の適性になじまない仕事について,(そのことに気づかずに)適性を持っている人と同レベルの成果を期待するのは,期待するという選択をした判断(もしくは判断過程)に誤りがあったといえますよね。
これは,その経験を学びとして,社員の適性に関する情報収集を工夫するなど,今後同様の判断ミスがないようにしていけばそれでよいでしょう。
次に後者の例についてですが,例えば,上司がある仕事を部下に依頼した場合で,部下が早期に上司に相談してくれれば解決できたことを部下が相談できず,結果として仕事がうまく進まなかったというケースを考えてみましょう。
このような場合,上司が頻繁に声をかけて,相談しやすい空気をつくっておいたり,部下のことを気にかけていることを(部下に)感じてもらえるようにしておけば,依頼した仕事を進める上での悩みをすぐに相談してもらって,その結果,滞りなく仕事を完遂できた可能性が十分にありますよね。
そうであるならば,部下が期待どおりに動いてくれるように上司としてできることがあったのにそれをしていなかったということを反省し,今後はもっと部下が相談しやすいように●●の行動をする,という具体的目標を立てて,これを実践する,というように成長していけばいいのです。
以上,今回の投稿では,
・相手に過剰な期待を抱かず,理想の30%くらいが満たされれば十分だと考えておく
・リスクを甘受した上で「相手に期待する」という選択をした自分の判断に責任を持つ。(期待どおりではない)結果に対しても,相手に非難を向けるのではなく,自分自身の判断の是非や,結果達成に向けてやるべき行動の有無を考える。
という視点についてお伝えいたしました。
皆さんの人間関係良好化の一助になれば幸いです。