阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属 阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属

2016 09.06

「正しい」という感覚の危険性

弁護士をしていてよく思うことは,

「人の正義感(正しさ,道徳観,倫理観)は千差万別である」

ということです。

そして,ここからが本題なのですが,私が多くの方々の相談を聞いていて強く感じることの1つに,

「『〇〇が正しい』という感覚は,時として人を盲目にする。」

というものがあります。

これはもはや,法則といっても良いかもしれません。

「盲目にする」という言葉をより具体化していうならば,

「正しさを他者に示そうとする行為が,その人が求めている目的・目標の達成との関係でリスクを伴うことに気づかない。」

というような言い方になるかなと思います。

具体例で考えてみましょう。

例えば,父親の遺産相続について,取り分でもめているA(兄)とB(弟)という兄弟がいたとします(他に相続人はいないと考えてください。)。

Bは,父親の生前にAばかりが優遇され,Aの留学や起業などの際に多額の支援を受けていたことが気に食わず,Aの取り分は自分より少ないという分割内容が「正しい」と考えています。

他方,Aは,父親の支援は自分への期待の表れであり,これまで父親の期待に応えて父親の自慢の息子として成長した自分は,何ら相続においてBに譲歩する理由はなく,Bの言い分は,自分が父親の期待に応えて立派な人間になれなかったことに起因する嫉妬からくる言いがかりであって,法律に従った分割が「正しい」と考えています。

さて,どちらの「正しさ」がより優先されるべきなのでしょうか(法律に基づく整理は一旦脇に置いて考えてください)。


私は,一方の「正しさ」が他方の「正しさ」よりも優れているとはいえず,優劣はつけられないと考えます。

なぜなら,ここでいう「正しさ」は,それぞれが主観的に持っているものであって,人によって千差万別であり,そこに優劣をつける基準は存在しないからです。


しかし,人は,一度「自分が正しく,相手が間違っている。」と思い始めてしまうと,著しく視野が狭くなり,「正しさ」ゆえに盲目な状態となります。

上記の例でいえば,Bが,(Aは自分と異なる考えを持っていると知っているにも関わらず)

「兄貴は父さんの生前にさんざん父さんの金で好きなことをやってきたじゃないか!それなのに,父さんが死んだ後もなお父さんの金をもらおうなんて,どこまで親のすねをかじれば気が済むんだよ!!」

等と,Aを非難するという行動に出るということが非常にありがちです。

さて,BはAよりも遺産の取り分を多く得たいという「目的」を持っているわけですが,その目的達成のとの関係で,上記のBの行動はどのような意味を持つでしょうか。

私は,プラスの効果はほぼなく,マイナスの効果が大きい行為だと考えます。

だって,Bにこんな言われ方をされたら,Aは当然カチンときますよね。

そうして,Aは,Bとはまともな話合いなど到底できないというイメージを形成していくことになるでしょう。

これは,第三者の立場から見れば,弁護士でなくとも十分に想像できる展開だと思います。

ところが,自分の言っていることが「正しい」という感覚に囚われ,盲目になっているB本人は,そのリスクに気づくことができないのです。

『俺の言っていることは正しくて,Aは間違っているのだから,それをAにはっきりと言って,Aに自分の愚かさをわからせてやらなければならない!』

というような考えを持ってしまい,その考えのままに行動に出てしまうわけです。


遺産分割に限らず,こうした「正しさ感覚による盲目」が原因となってなされてしまう行動によって,紛争が激化するということは本当に枚挙にいとまがありません。


どちらかが倒れるまで(精神的に)殴り合いたいのであれば,盲目を好んで選択することもやむを得ないかもしれませんが,おそらくそのような人は世の中にほとんどいないでしょう。

誰だって,自分の目的を達成できぬまま長期間にわたってもめたくはないですよね。


そう思われた方は,今この瞬間から,自分の「正しさ」感覚に固執することはせず,必ず,相手の考えている「正しさ」に思いを致すようにしましょう。

それだけでも大きな効果がありますが,さらに,その相手の「正しさ」が,相手の立場からすれば理解できるという感覚まで持てれば,非常に冷静に,目的達成に向けて最も効果的な行動を選択できるようになるはずです。

ぜひお試しあれ(^^)!!