2016 07.28
執着することの意味
皆さんは,何かに執着したことはありますか?
今日は,執着することの意味について考えてみたいと思います。
執着という言葉はどんな時に使うでしょうか。
辞書で引いてみたら,「金に執着する」という使用例が出てきました(苦笑)。
お金に執着するというケースは,世の中にごまんとあるでしょうね。
他にも,別れた恋人に執着するとか,物に執着するとか,色々なパターンがありますね。
ちなみに,「執着」の辞書的な定義としては,「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」と出ていました。
何かに執着している時って,どんな状態だと思いますか。
せっかくなので,お金に執着している状態を例に考えてみましょう。
辞書の定義どおりに当てはめると,「お金のことに心をとらわれて,そこから離れられない」状態ということになります。
人生においてお金は確かに重要ですが,「お金のことに心をとらわれて,そこから離れられない」状態というのは,まるでお金に心を支配されているみたいではないでしょうか。
そのような状態は,果たしてその人にとって幸せな状態なのでしょうか。
そもそも,お金に限らず,自分以外の何かに「心を支配されている状態」というのは,その人にとって幸せな状態といえるでしょうか。
自分の人生なのに,自分以外のものに心が支配されている状態。
少なくとも,私はそのような状態を幸せであるとは感じません。
何かに執着している時,人は,そのことばかりを考えてしまい,当該執着物に対して(短期的に)望んでいる結果が実現できるかできないかということに心が囚われてしまいます。
本来的には,その執着物に対して望んでいる結果の実現の有無で,人生の幸・不幸が決まるわけではないにもかかわらず,です。
しかしながら,人は一度何かに執着してしまうと,著しく視野が狭くなってしまうため,その執着物に対する自分の関心事が前に進まないと,人生も前に進まないと強く思い込んでしまいます。
我々弁護士がお受けするご相談の中でも,「自分が裏切られた相手を何とか懲らしめたい。」というようなご相談の時には,ご相談者様は相手方に対して強い執着心を持っていることが多いです。
執着は,必ずしも『自分が求めているもの』に対して起こる状態とは限りません。
むしろ,その真逆な気持ちを持っているものに対して執着するということも非常に多くあります。
その場合,憎らしいとか,自分の世界から追い出したいとか,今後関わりたくないと思っている相手であるにもかかわらず,その相手に「心をとらわれて,そこから離れない状態」になってしまっているのです。
執着心て恐ろしいなぁと改めて思います。
人は,執着してしまうと,自分が負の感情を持っているものに心を支配されてしまうのです。
皆さんは,そんな状態になりたいと思うでしょうか。
『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』という,大阪の大ベテラン弁護士西中務先生が書かれている本の表紙には,
「お金を追うと逃げていく。執着するから衝突する。」
という言葉が書かれています。
この道45年の先生が辿り着かれた境地なんだと思います。ただただ尊敬です。
弁護士として,いかにクライアントが執着状態から脱するお手伝いができるか,ということは,私が一生追いかけ続ける課題だと思っています。
もし今,『自分は何かに執着してしまっているが,その状態から抜け出したい。』という方がいらっしゃいましたら,ぜひご相談くださいね。
今日は,執着することの意味について考えてみたいと思います。
執着という言葉はどんな時に使うでしょうか。
辞書で引いてみたら,「金に執着する」という使用例が出てきました(苦笑)。
お金に執着するというケースは,世の中にごまんとあるでしょうね。
他にも,別れた恋人に執着するとか,物に執着するとか,色々なパターンがありますね。
ちなみに,「執着」の辞書的な定義としては,「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」と出ていました。
何かに執着している時って,どんな状態だと思いますか。
せっかくなので,お金に執着している状態を例に考えてみましょう。
辞書の定義どおりに当てはめると,「お金のことに心をとらわれて,そこから離れられない」状態ということになります。
人生においてお金は確かに重要ですが,「お金のことに心をとらわれて,そこから離れられない」状態というのは,まるでお金に心を支配されているみたいではないでしょうか。
そのような状態は,果たしてその人にとって幸せな状態なのでしょうか。
そもそも,お金に限らず,自分以外の何かに「心を支配されている状態」というのは,その人にとって幸せな状態といえるでしょうか。
自分の人生なのに,自分以外のものに心が支配されている状態。
少なくとも,私はそのような状態を幸せであるとは感じません。
何かに執着している時,人は,そのことばかりを考えてしまい,当該執着物に対して(短期的に)望んでいる結果が実現できるかできないかということに心が囚われてしまいます。
本来的には,その執着物に対して望んでいる結果の実現の有無で,人生の幸・不幸が決まるわけではないにもかかわらず,です。
しかしながら,人は一度何かに執着してしまうと,著しく視野が狭くなってしまうため,その執着物に対する自分の関心事が前に進まないと,人生も前に進まないと強く思い込んでしまいます。
我々弁護士がお受けするご相談の中でも,「自分が裏切られた相手を何とか懲らしめたい。」というようなご相談の時には,ご相談者様は相手方に対して強い執着心を持っていることが多いです。
執着は,必ずしも『自分が求めているもの』に対して起こる状態とは限りません。
むしろ,その真逆な気持ちを持っているものに対して執着するということも非常に多くあります。
その場合,憎らしいとか,自分の世界から追い出したいとか,今後関わりたくないと思っている相手であるにもかかわらず,その相手に「心をとらわれて,そこから離れない状態」になってしまっているのです。
執着心て恐ろしいなぁと改めて思います。
人は,執着してしまうと,自分が負の感情を持っているものに心を支配されてしまうのです。
皆さんは,そんな状態になりたいと思うでしょうか。
『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』という,大阪の大ベテラン弁護士西中務先生が書かれている本の表紙には,
「お金を追うと逃げていく。執着するから衝突する。」
という言葉が書かれています。
この道45年の先生が辿り着かれた境地なんだと思います。ただただ尊敬です。
弁護士として,いかにクライアントが執着状態から脱するお手伝いができるか,ということは,私が一生追いかけ続ける課題だと思っています。
もし今,『自分は何かに執着してしまっているが,その状態から抜け出したい。』という方がいらっしゃいましたら,ぜひご相談くださいね。