2016 09.13
あらゆる物事に感謝しよう
私の心の師・鍵山秀三郎さんの著書に,「困難にも感謝する」という本があります。
辛いこと,大変なこと,腹立たしいこと,なかなか解決できない問題等は,私たちの悩みの種となり,心を重くします。
しかし,このような「困難」は,実は自分を大きく成長させてくれるまたとない好機でもあります。
シンクロナイズドスイミングのリオオリンピック代表チームにおいて,井村雅代監督は,まさに地獄のような練習を選手たちに課したそうです。
あまりにも辛すぎて,何名かは脱落してしまった程でした(オリンピック代表チームに選ばれる程の選手が,怪我や病気以外で脱落するというのは相当なことだと思います。)。
それでも,最終的に残った選手たちは,監督を信じ,辛い練習に耐え,ついには銅メダルという素晴らしい栄誉を勝ち取りました。
そして,彼女たちは口々に,監督への感謝の気持ちを語っていました。
もちろん,地獄のような練習のさなかにあって,
「こんなハードな練習も,私たちにメダルを取らせるためにあえて心を鬼にして課してくれているのだろう。監督本当にありがとう!」
等と思いながら練習をしていた選手はさすがにいないと思います。
まさに鬼のごとくしごいてくる監督を憎らしく思いながらも,メダルという目標のために一心に(自分と)戦い続けていたことでしょう。
ただ,最終的にはその地獄のような練習や,鬼のような監督にも感謝することができるという,その選手たちの考え方が素晴らしいと思うのです。
仮に,メダルという結果が得られなくても,彼女たちはやはり,監督に感謝していたことと思います。
そしてきっと,それだけ全てのエネルギーを注いでくれた監督に,メダルという結果を届けられなかった自分たちの力不足を悔やんでいたのではないかと思います。
このように,私たちが直面する様々な困難(=艱難辛苦)は,それを乗り越えるために(問題を解決するために)私たちが自分自身の可能性の扉を開き,今まで以上の力を発揮して新たな自分へと成長するための糧となってくれます。スポーツ等の勝負の世界では誰しも経験のあることでしょう。
これはもちろん,スポーツに限った話ではありません。
誰しも,仕事でも家庭でも,日々様々な困難に直面しますよね。
ですが,困難をただただ「辛いこと」,「苦しいこと」,「面倒なこと」としか受け止めず,そこから回避する選択ばかりをしていても,そこに成長はありませんし,目標の達成へと近づくこともままならないでしょう。
また,困難に対してすら感謝するという考え方ができるようになると,心に余裕ができ,およそあらゆる物事について感謝するという観点が自然に芽生えてきます。
こうなったらしめたものです。
感謝の気持ちは,それを行動にすることで,たくさんの人の心に心地よさを運びます。
そして,自然に周りの人たちとの人間関係は良好になっていきます。
そのようなサイクルが続いていくとどうなると思いますか?
まず人間関係が良好になっていくので,人間関係で悩むことが少なくなります。
また,仕事等で大変な時には,周りの人が進んで助けてくれるようになります。
そうして困難を乗り越えると,さらに成長することができ,また,助けてくれた方々への感謝の気持ちがよりいっそう高まっていくという循環になっていきます。
「感謝するだけでそんなにうまくいくなら,誰も苦労しないよ。」
なーんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが,そのような方には,私はこう質問します。
「では,あなたは普段どんなことに感謝し,それをどのように行動で示していますか?」と。
上記のような批判を口にする方は,この問いに対してまともに答えることができないはずです。これは断言します。
なぜなら,ここで,「あらゆる物事に感謝し,つねにそれを様々な行動で示している。」ということを言える方は,そもそも感謝することの価値や重要性に疑問を感じていない方なので,上記のような批判的観点を持つことはないからです。
ぜひ皆さんも,本稿を機会に,あらゆる物事に感謝するという姿勢を意識してみてください(^^)
辛いこと,大変なこと,腹立たしいこと,なかなか解決できない問題等は,私たちの悩みの種となり,心を重くします。
しかし,このような「困難」は,実は自分を大きく成長させてくれるまたとない好機でもあります。
シンクロナイズドスイミングのリオオリンピック代表チームにおいて,井村雅代監督は,まさに地獄のような練習を選手たちに課したそうです。
あまりにも辛すぎて,何名かは脱落してしまった程でした(オリンピック代表チームに選ばれる程の選手が,怪我や病気以外で脱落するというのは相当なことだと思います。)。
それでも,最終的に残った選手たちは,監督を信じ,辛い練習に耐え,ついには銅メダルという素晴らしい栄誉を勝ち取りました。
そして,彼女たちは口々に,監督への感謝の気持ちを語っていました。
もちろん,地獄のような練習のさなかにあって,
「こんなハードな練習も,私たちにメダルを取らせるためにあえて心を鬼にして課してくれているのだろう。監督本当にありがとう!」
等と思いながら練習をしていた選手はさすがにいないと思います。
まさに鬼のごとくしごいてくる監督を憎らしく思いながらも,メダルという目標のために一心に(自分と)戦い続けていたことでしょう。
ただ,最終的にはその地獄のような練習や,鬼のような監督にも感謝することができるという,その選手たちの考え方が素晴らしいと思うのです。
仮に,メダルという結果が得られなくても,彼女たちはやはり,監督に感謝していたことと思います。
そしてきっと,それだけ全てのエネルギーを注いでくれた監督に,メダルという結果を届けられなかった自分たちの力不足を悔やんでいたのではないかと思います。
このように,私たちが直面する様々な困難(=艱難辛苦)は,それを乗り越えるために(問題を解決するために)私たちが自分自身の可能性の扉を開き,今まで以上の力を発揮して新たな自分へと成長するための糧となってくれます。スポーツ等の勝負の世界では誰しも経験のあることでしょう。
これはもちろん,スポーツに限った話ではありません。
誰しも,仕事でも家庭でも,日々様々な困難に直面しますよね。
ですが,困難をただただ「辛いこと」,「苦しいこと」,「面倒なこと」としか受け止めず,そこから回避する選択ばかりをしていても,そこに成長はありませんし,目標の達成へと近づくこともままならないでしょう。
また,困難に対してすら感謝するという考え方ができるようになると,心に余裕ができ,およそあらゆる物事について感謝するという観点が自然に芽生えてきます。
こうなったらしめたものです。
感謝の気持ちは,それを行動にすることで,たくさんの人の心に心地よさを運びます。
そして,自然に周りの人たちとの人間関係は良好になっていきます。
そのようなサイクルが続いていくとどうなると思いますか?
まず人間関係が良好になっていくので,人間関係で悩むことが少なくなります。
また,仕事等で大変な時には,周りの人が進んで助けてくれるようになります。
そうして困難を乗り越えると,さらに成長することができ,また,助けてくれた方々への感謝の気持ちがよりいっそう高まっていくという循環になっていきます。
「感謝するだけでそんなにうまくいくなら,誰も苦労しないよ。」
なーんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが,そのような方には,私はこう質問します。
「では,あなたは普段どんなことに感謝し,それをどのように行動で示していますか?」と。
上記のような批判を口にする方は,この問いに対してまともに答えることができないはずです。これは断言します。
なぜなら,ここで,「あらゆる物事に感謝し,つねにそれを様々な行動で示している。」ということを言える方は,そもそも感謝することの価値や重要性に疑問を感じていない方なので,上記のような批判的観点を持つことはないからです。
ぜひ皆さんも,本稿を機会に,あらゆる物事に感謝するという姿勢を意識してみてください(^^)