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20178.1

他者に理解されたければ行動するしかない

私は論語が好きで毎朝声に出して少しずつ素読をするようにしているのですが,論語において孔子が説く教えの中に「礼」という考え方があります。

「礼」とは,ものすごく平たく言うと,孔子が説く人としての最高レベルの人格の在り方である「仁」(=自分以外の人への思いやりの心)の具体的表れとして実際になされる行動のことを指しています。


例えば,電車の中で,自分が座っていたら途中の駅で高齢の方が乗ってこられたとします。

空いている席を探していらっしゃるご様子で,お座りになられたそうな雰囲気が伝わってきます。

しかし,残念ながら車内は混雑しており,空いている席は見当たりません。

そこであなたは考えます。

『あの高齢の方,立ちっぱなしで大変そうだな。席を譲ってあげた方がいいのではないだろうか。』

このような他者に対する思いやりの心が,「仁」の具体例の一種ということができます。


しかしながら,このように思うだけで,結局,席を譲るという行為をしない(できない)人も結構いますよね。

・『座りたがっていると思っているのは私の勘違いで,実は健康のために立っていたいと思っているのかもしれない。そしたら,お声がけをしたら逆に気を悪くされるかもしれない。』

・『なんかいかにも“イイ人”ぶってると思われそうで恥ずかしい・・・』

・『自分も疲れてるし,譲るの面倒だな・・・』

こんな風に,人や状況によって理由は様々でしょうが,『譲った方がいいのではないか』という気持ちが芽生えながらも行動しないという方は少なからずいます。

実は,お恥ずかしい話ですが,私自身もこのように,『譲った方がいいかな』と思いながらも行動しないということはしばしばありました。

このような場面で,実際に『よかったらお座りになりませんか?』というように高齢者の方にお声かけをする人が,「礼」の実践者ということができます。


さて,それでは,同じように相手を思いやる気持ちを自分の中で生み出しながら,その思いやりを「礼」として実践できる人と実践できない人がいたとして,他者から『思いやりのある人だな~』と理解してもらえる(好感を持ってもらえる)のはどちらだと思いますか?

間違いなく,「礼」を実践できる人ですよね。

単純な話です。

周りの人からは,その人が考えている心の内は何ら判別することはできませんよね。

では,周りの人は何を持ってその人の人格を判別するのかといえば,それは,その人が採っている「行動」に尽きるわけです。

“混雑している電車の中で高齢の方に席を譲っている”という「行動」を見て,『こういう親切な行動ができるということは,思いやりの心がある人なんだろうな~』というように判別するわけですね。

これは時も場所も人種も何も選ばない,人間社会における普遍かつ不変の原則ですので,「そんなの当たり前じゃん!」と感じる人も少なくないと思います。


しかし,翻って現代社会の様々な場面ではどうでしょうか。

世の中の多くの人は,『他者が自分のことを理解してくれない(≒自分のことを認めてくれない)』というような悩みを抱えていらっしゃいます。

では,そのような悩みを持つ人の中で,自ら積極的に他者を理解しようとして相手の話を真摯に傾聴したり,あるいは他者に対して陰口を言ったり罵ったりせず,周りの他者を認めて称賛するということを行動習慣にしている人はどれくらいいると思いますか?

おそらくほとんどいないでしょう。

なぜなら,他者に対してそのように「礼」を実践できる人は,(よっぽどのことがない限り)結果として他者から理解され,認められるからです。

これも当然といえば当然ですよね。

他者に対する思いやりの気持ちを具体的な行動にしているわけですから,周りの人は,その人のことを『思いやりのある温かい人』と判断して,好印象を持つわけです。

そうなれば,理解してもらったり,認めてもらうという結果は自然とついてきますよね。

誕生日でサプライズ企画をすることなんかはまさに「礼」の実践の好例といえるでしょう。

あれは「相手を喜ばせたい」というほぼ100%思いやりの発露というべき行動ですよね。

私もされたことがありますが,その気持ちが本当に嬉しくて,自然とその企画をしてくれた人たちに対する信頼の気持ちや好感が強くなりました。


ご存知の方も多いと思いますが,聖書の一節に,「何事でも人々からして欲しいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。」という有名なフレーズがあります。

私はこの教訓を少しアレンジして,

「何事でも人々からして欲しいと望むことは,まず先に自分から人々にせよ。」

という原則として,自分の行動指針の1つに落とし込んでいます。

なぜなら,先に「礼」を実践することで,結果として自分が他者に対して望んでいることが実現しやすくなるという原則を身をもって体感しているからです。


人に「礼」儀正しくするのは人のためではありません。

自分が持っている大事な「仁」の心を具体的に「礼」として行動に移して,知行合一(=自分の知識や考えと行動が一致していること)を重ねることで自らの人格を高めるとともに,周りの人から理解され,認めてもらうことができるからこそ,礼儀正しくすべきなのです。

そういう意味では,「親しき中にも礼儀あり」というのは本当に核心を突く格言だと思います。

なぜなら,人が最も理解され,認められたいと望む相手は,自分にとって近しい存在(家族,友人,職場の仲間等)だからです。

まさに,そういう近しい人たちに対してもきっちりと「礼」を実践する(=思いやりを行動で表す)ことで,お互いを理解し合い,認め合える素晴らしい人間関係が築けるわけです。


他者から理解され,認められたければ,自分が先に他者を理解し,認めるという「礼」を実践することが何よりの近道です。


ぜひ,まずは近しい人から順番に,思いやりの心を具体的な行動で表してみてくださいね!


今まで全然していなかった人は,間違いなく劇的に世界が変わりますよ!