阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属 阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属

2016 08.21

相手の誤りを正すのは慎重に

私のバイブルであるデール・カーネギー著「人を動かす」において,「人を説得する十二原則」の1つとして,

「誤りを指摘しない」

という原則があります。

「相手の話の内容が誤っていると気づいたのに指摘しないなんて,そんなの間違っている!」

と思われた方もいるかもしれませんね。

確かに,場面によっては,誤りを指摘することが必要かつ重要なときもあるでしょう。

例えば,自分の子供が「ポケモンGO」を,「ポケモンDO」と間違って覚えていて,そのことに気付いたとします。

このような場合には,子供が学校で友達と話した時に,「ポケモンDO」と言ってしまって,恥ずかしい思いをしたりする恐れがありますから,親として,子供がそのような事態に陥らないよう,誤りを指摘してあげることは大事でしょう。

しかし,これが「人を説得する」場面においては全く話が変わってきます。

もちろん,ちょっとした記憶違い等を軽く指摘するくらいであれば大した影響はありませんが,本人がある程度自信を持って話していることについて,特に他の人もいる中で誤りを指摘した場合,指摘された側はどう感じるでしょうか?

多くの場合,恥をかかされたとか,自尊心を傷つけられたと感じるのではないでしょうか。

結果として,その人は,指摘したあなたに対してマイナスな印象を抱くこととなり,あなたの説得を受け入れようという気にはならなくなってしまうわけです。

特に,発言者の解釈に論理的根拠が乏しいとか,客観的に見ればかなり個人的バイアスのかかった発言を,あたかも普遍的解釈かのように話している場合などに,そのことを指摘しようとすると,よりいっそう相手との距離に悪影響を及ぼすおそれがあります。

というのも,調べればすぐにわかるような明確な記憶違い(例えば,デール・カーネギーとアンドリュー・カーネギーを逆に覚えている等)と異なり,上記のような,思考の浅さや自身の発言に関する客観性の分析不足等といった点を指摘してしまうと,ともすれば人格攻撃ともとられかねず,相手がこちらに対する敵対心を持つ危険性が高いからです。

そもそも,誤りを指摘することを含めて,人は,コミュニケーションをとっている相手の考えや発言に疑問を感じると,つい,「それは違うのではないか。こう考えるべきではないか。」等と,良かれとおもって(あるいは自分の方が優れた思考力や知識を有しているとアピールしようとして)助言をしようとしてしまいがちです。

しかし,人は,適切なタイミング(=他者から助言がほしいと考えているタイミング)で,適切な相手(=助言を乞うにふさわしい相手)から言われない限り,助言をありがたいと感じたり,素直に受け入れようとは思いません。

むしろ,求めてもいない助言をされると,わずらわしいとすら思ってしまいます。

これでは,あなたのしている助言は,(不十分な部分や間違った認識などを改善して)相手によくなってもらいたいというあなたの目的に対して逆効果を発揮することになってしまいます。

(ちなみに,自分の方が優れた思考力や知識を有しているとアピールするための助言の場合も,それは他者からの承認欲求を満たすために行っている行為なので,相手が承認しようという気にならない以上,やはりマイナス効果であることに変わりありません)。

誤りを指摘したり,不十分な思考について何らかの助言をしたりしようとするときは,まず,相手が自分に対してそれを求めているという状況にもっていくこと(あるいは,あなたからの指摘であれば素直に聞くという信頼関係を構築すること)に注力しましょう。

その順番を守らなければ,あなたが良かれと思って行った指摘や助言は,全て逆効果となりかねませんので,どうかご注意を!!