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20167.30

個性主義と人格主義

「7つの習慣」において,コヴィー博士は,昨今の成功をテーマにした書籍は『個性主義』を中心としたものが多いが,『人格主義』こそが,人が真の偉大さを手に入れ,幸せな人生を歩む上で欠かせない理念であると語っています。

『個性主義』とは,成功は,個性,社会的イメージ,態度,行動,スキル,テクニックなどによって人間関係を円滑にすることから生まれるという考え方です。

これに対して,『人格主義』とは,自己の内面を磨き,根本的なものの見方・考え方,信条,価値観,哲学といった人格的な部分を高めることで,人は真に成功への道を歩んでいくことができるという考え方です。

さて,皆さんは,『個性主義』と『人格主義』,どちらがご自身の成功のイメージと合致するでしょうか。


まあ,「どちらが」などと,さも二者択一かのような言い方をしてしまいましたが,『個性主義』と『人格主義』がそれぞれ重要視していることは,いずれも,人の成功において大事なことではあります。

ですので,どちらかが良くてどちらかが悪い,というわけではありません。


但し,『人格主義』をおろそかにし,『個性主義』だけで事をなそうとすることはおすすめできません。

それはなぜか。

京セラの稲盛和夫名誉会長は,ご自身が京セラを経営する中で磨きあげてきた京セラの経営理念(=いわゆる「京セラフィロソフィ」)の中核として,以下のような成功の公式を提唱しています。

その公式とは,「成功=能力×熱意×考え方」という公式です。

この公式を拝借して,『個性主義』だけで成功を企図することの危険性について考えてみましょう。

この公式には,大事なポイントがあります。

それは,「能力」と「熱意」については,0~100の数値を当てはめるのに対して,「考え方」については,「-100~100」の間で数値を当てはめる,ということです。

これはどういうことかと言いますと,いくら能力が高く,熱意も人一倍持っていたとしても,例えばその能力や熱意を反社会的な行動のために使ってしまえば,(その人自身も含めて)誰の幸せも生み出すことはできません(むしろ,地下鉄サリン事件などのように,たくさんの人の悲しみを生み出すことになるでしょう。)。

つまり,考え方次第で,優れた能力や熱意は,かえって人の不幸を生み出してしまうことがある,ということなのです。

『個性主義』だけで成功を目指すということも,そのような危険性をはらんでいるのです。

上記の公式でいえば,『個性主義』が重視しているのは,まさに能力や熱意の部分です。確かにこれらの要素も,公式に入ってくる重要な要素ではあります。

しかしながら,考え方=人格の部分がおろそかになってしまうと,極端に言えば,能力や熱意が不足している場合よりもなお悪い状態に陥ってしまうことがありうるわけです。

このように,まず『人格主義』を土台にすえて,自己の人格を高めることを第一としつつ,そのようにして形成された人格に基づく自然的発露として,言葉,態度,スキル,テクニックといった表層的な部分も伴っていくことが,効果的な成長と考えられます。

そして,成功は,人がそのように効果的な成長を遂げていく中で,その副産物としてもたらされるものと考えることができます。

徹底的に自分の内面を磨き,人格を高めることを目指し続けていくと,全ては自分次第という境地にたどりつきます。そうなればしめたものです。

先日の投稿で書いた「執着」というような状態に陥ることはまずありませんし,一時の感情に流されて自分の行動を制御できなくなるというようなこともなくなります。

また,常に自分自身が,自ら目指す理想的な人格であり続けるということに焦点を当てているため,他者との不必要な比較をしたり,他者に恨みや妬みを抱くこともなくなります。

さらには,たとえ誰かに肉体的・精神的に傷つけられるようなことがあったとしても,そのことを踏まえて「自分はどうあるべきか」という考え方になるので,相手に対して仕返しをしたいとか,懲らしめてやりたいというようなことを考えません。

(※ただし,純粋に相手に人格を高めてもらいたいという理由で,その気づきを得るための機会として,一定の戒めを与えるということはありうると思います。)


結局のところ,人が他人に対して負の感情を抱くのは,誰のせいでもなく,自分自身の人格を高めきれていないからなんですね。

聖書において,「右の頬を打たれたら,左の頬を差し出しなさい。」と謳われているのは,まさに,自分が傷つけられたとしても,それに反応して相手に憎しみや恨みを抱いたりはせず,むしろその真逆の行為をできる者こそ,真に人格を高めた者という考え方の表れなのだと私は解釈しています。

全ての人が『人格主義』を土台に生きていけば,相手を出し抜こうとか,一方的に自分だけが勝利しようとか,相手に仕返しをしてやろうとか,そのような,およそ世の中にある争いの種が,軒並み消滅していくはずです。

そういう意味では,国民性として,大半の人が宗教を通じて人格を高める機会をもっていない日本人は,特に欧米諸国の人たちに比べて,『人格主義』の重要性に気づける契機が少ないと言わざるを得ません。

『人格主義』の至高の価値を実感している者として,争いのない社会の創造を目指すものとして,『人格主義』の普及に今後も身命を賭していきたいと思います。