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201711.10

「刺激」と「反応」の間にスペースを空ける

「刺激と反応の間にはスペースがある。そのスペースには,私たちが自分の反応を選択する自由と力がある。そして,その反応こそ,私たちの成長と幸福の鍵を握っている。」

(※スティーブン・R・コヴィー著・「完訳 第8の習慣」88頁)


皆さんは,「私たち人間は,刺激と反応の間にスペースを空けることで,刺激に対する反応を自由に選ぶことができる。」というお話を聴いたことがあるでしょうか?

ここでいう「刺激」とは,自分以外のすべての人の言動や,自然現象,社会の動き等,外部から入ってくる全ての情報のことを指しています。

が,そのように大きなくくりにすると正直わかりにくいので,ひとまず「自分以外のあらゆる他者の言葉や行動」だと思ってください。

そして,「反応」とは,そのような他者の言葉や行動に対する自分の行動のことを指しています。


例えば,カフェで店員の方がコーヒーを運んできてくれた時に,誤って熱いコーヒーをあなたの足にかけてしまったという場面を想像してみてください。

こんな時,あなたはどうするでしょうか?

火傷するような熱さのコーヒーをかけられたことや,衣服を汚されたことに対する怒りを店員さんにぶつけるべく,「ふざけるなよ!」とか,「なんてことしてくれたの!」などと文句を言いますか?

あるいは,クリーニング代を要求しますか?

この時,「店員さんがコーヒーをこぼす」というのは,店員さんという他者の行動ですから,「刺激」ですね。

これに対して,どのような行動を取るかは人それぞれ違いますよね。

怒ったり文句を言ったりする人もいれば,逆に店員さんがケガをしていないか気遣ったりする人もいます。

まさに,誰しも,自分自身で,「コーヒーをかけられる」という「刺激」に対する「反応」を選んでいるんですね。

ただし,このような「刺激」に対する「反応」を選ぶにあたって,ほとんど何も考えずにいわば反射的な行動をする人と,そうでない人がいます。

その差はどこにあるのでしょうか。


それは,「刺激」と「反応」の間にどれだけスペースを空けられるかどうかにあります。

この「スペース」という言葉は,時間に置き換えても構いません。

その場合は,(さながらビデオ映像のように)「刺激」と「反応」の間に「一時停止(ポーズ)」をかけるという言葉で理解してもよいでしょう。

上記の例でいえば,「コーヒーをかけられる」という「刺激」を受けた際に,自分がどのような「反応」を選ぶかということを考えるスペース(あるいは時間)をどれだけ空けられるのかというところにかかっているわけです。


世の中には,『つい感情的に行動してしまって,後で後悔することがある』というようなお悩みを持つ方が少なくありませんが,そのような方は,「刺激」と「反応」の間のスペースがほとんどない方といえます。


コーヒーをかけられた

熱い!(あるいは服が汚れた!)

不快である!

怒りをぶつける!


というように,刺激に対してまさに反射的に行動してしまうということですね。

おそらくこのような行動傾向のある方の場合,「刺激に対する反応を自分で選んでいる」という感覚はほとんどないでしょう。

『コーヒーをかけられて不快な思いをさせられたんだから,怒って当たり前である(あるいは腹が立つのも仕方がない)』

とか,

『別に自ら好き好んで怒ったわけではない。店員がコーヒーをかけるというミスをしたから,それによって怒らされたのだ』

という風に考える方が多いのではないかと思います。


しかし,『怒って当たり前』であるとか,『怒らされた』というのは果たして真実なのでしょうか?

他に選択の余地は一切なく,店員さんにコントロールされて『怒る』という行動をとらされたのでしょうか?

そんなことはありませんよね。

単に,「刺激」と「反応」の間にスペースを空けずに,特に何も考えずに『不快だ。腹立たしい』という感情のおもむくままに行動することを選択しているだけです。


では,スペースを空けられる人はどんな思考をたどるか考えてみましょう。

例えば以下のような思考と行為の流れが考えられます。


コーヒーをかけられた

熱い!(服が汚れた!)

でも店員さんはわざとやったわけではなく,ミスをしてしまって動揺している

自分が追い求める理想の自分は,こんなアクシデントが起きた時でも泰然と構えて,周りの人を気遣うことのできる人間だ

よし,店員さんが今回のミスで落ち込んでしまって,今後他のお客さんに対して良いサービスができなくなったりしないように,こちらは気にしていないことを伝えて安心してもらおう!

「全然大丈夫ですから気にしないでくださいね。それより,あなたは火傷したりしていませんか?あるいは,他のお客様に運ばなければいけないもの等があったらどうぞ先にそちらを優先してください。」


先ほどの反射的な反応をする人の例と比べて,「↓」の数が多いですよね。

それだけ,「刺激」と「反応」の間にスペースを空けて(一時停止をかけて),自分がどのような「反応」を選ぶべきかを考えているということです。

まあ,実際の時間にすれば1~2秒程度の話なのですが,わずか1~2秒考えるか考えないかによって大きな差が生じるということですね。


ここで,私はあえて「大きな差」という言葉を使いましたが,コーヒーをかけられた時の「反応」という,言ってみれば些細な出来事に対する「反応」によって「大きな差」が生じるというのはどうしてだと思いますか?

それは,このようなごく些細な突発的出来事においても「刺激」と「反応」の間にスペースを空けられる人こそ,「刺激」と「反応」の間にスペースを空ける習慣が身についている人だからです。

このような習慣が身についている人は,もっと重要な場面においても,自然に「刺激」と「反応」の間にスペースを空けることができ,その場その場で,自分や組織のビジョン・目的に照らして効果的な選択をすることができる能力に長けています。

ちなみに,スティーブン・R・コヴィー博士は,このような能力のことを「主体性」と呼び,刺激と反応の間にスペースを空ける習慣が身についている状態のことを「主体的である」と表現しています。


なお,上記の例では,突発的アクシデントのケースで考えてみましたが,例えば,部下が上司の指示を受けて行動するような場合にも,同様のことがいえます。

上司の指示という「刺激」に対する「反応」についてスペースを空けて思考できない人は,


上司から指示された

上司命令だからやる


という極めて短絡的な反応になります。

これに対して,スペースを空けて思考する習慣が身についている人(=主体的な人)は,


上司から指示された

上司がこの指示をくれた意図(目的)は●●という成果の達成のためにあるはず

●●という成果の達成のために最も効果的な選択は,指示されたとおりの行動で間違いないだろうか?もっと良い方法はないだろうか?

××という方法ならもっと効果的かもしれない。上司に相談(提案)してみよう!


というように,「刺激」と「反応」の間にスペースを空けることができるのです。


刺激」と「反応」の間にスペースを空ける習慣が身につくことにより,行動選択の質は格段に向上し,その結果として,必然的に周りの人との信頼関係も厚くなっていきます。

そして,冒頭の引用文にもあるとおり,「刺激」と「反応」の間にスペースを空けることは,私たち人間誰しもに与えられている「自由」でもあります。

つまり,その気になれば誰でも可能なことということです。


断言しますが,この習慣が身に付いたら,本当に世界が変わりますよ!


騙されたと思って試してみてくださいね(^^)