阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属 阿部竜司法律事務所 札幌弁護士会所属

2017 11.07

アドラー心理学の哲人が教えてくれたこと③

前回,前々回の投稿に引き続き,10月7日の岸見一郎先生(※ベストセラー本「嫌われる勇気」の著者)の講演会で学んだことについてご紹介したいと思います。

(※なお,前回・前々回の投稿についても同様なのですが,私のブログにおいて記載している内容は,岸見先生の講演内容を忠実に再現したものではなく,先生のお話から私自身が気づいたことや,先生のお話をきっかけに「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」(※「嫌われる勇気」の続編)を読み直す中で皆さんにお伝えしたいと思ったことを綴っているものです。その点ご承知おきください。)


岸見先生のお話は,大要以下の3つに分かれておりました。

① 他者の目を気にしないこと

② ありのままの自分に価値を置くこと

③ 今この瞬間を生きること


このうち,前々回の投稿では,「① 他者の目を気にしないこと」について,前回の投稿では,「② ありのままの自分に価値を置くこと」についてお話をしました。

最終回となる本稿では,「③ 今この瞬間を生きること」についてお話ししていきたいと思います。


突然ですが,人の性格や人間性というものは,自分自身では変えられないものでしょうか。

それとも,変えようと思えば変えられるものでしょうか。

私は,弁護士という仕事柄,様々な方のお話をお聴きする機会に恵まれていますが,ご相談者様からしばしばこんなお言葉を耳にします。

すなわち,

「元々自分は短気な人間なので・・・」

とか

「私は内気なタイプなので,あまり言いたいことも言えなくて・・・」

というように,ご自身の性格について,生まれながらにして先天的に固められているとか,あるいは,幼少期から成人になるまでの家庭環境や学校生活等を通じて固まってしまって,大人になってからは変えることができないものとして捉えていらっしゃる方が少なくないのです。

いわば,ご自身の人間性や性格は,遺伝的に定められているとか,あるいは,過去の人生経験に基づく産物かのように捉えていらっしゃるわけです。

確かに,人のものの見方や考え方,あるいは価値観といったものは,当然ながら,それまでの人生経験に影響を受けるものであることは否定できません。

ですが,だからといって,遺伝であるとか,あるいは過去の経験といった,本人の意志ではコントロールできない事柄から必然的に形成されてしまうようなものといえるでしょうか?

アドラーは,人の人間性,性格,考え方等を総称して「ライフスタイル」という言葉を用いますが,ライフスタイルは「自らが選びとるもの」と言っています。

つまり,端的に言ってしまえば,「人の性格というものは,その人自身がそのような性格でいることを自ら選んでいるのだ」というのです。


これは,今のご自身の性格や人間性を好んでいらっしゃらない方や,変えたいと思っている方にとっては,なかなか納得しかねる言葉だと思います。

そのような方にとって,ご自身の性格というものは,『できることならもっと改善したい,良くしたいと願っているのに,そうならないもの』であるはずだからです。

つまり,「変えたくても変えられないもの」=自分の意志ではコントロールできないもの,という認識ですね。

しかし,果たして本当にそうなのでしょうか?

自分の人間性や性格といったものは,“変えたくても絶対に変えられないもの”なのでしょうか?

私はそうは思っていません。

理由はシンプルです。

人は自分の思考や行動を自ら選択することができる生き物だからです。

人の性格や人間性というのは,結局のところ,『その人の考え方や行動選択の傾向』に過ぎません。

そうであるならば,考え方や行動というものは,自らいくらでも自由に選びとれる以上,性格もまた,自ら自由に選べるものといえるはずです。


例えば,待合わせの約束をしていた相手が時間に遅れてきたとします。

こんな時,「いつまで待たせるんだ!」と,つい相手に対して苛立ちをぶつけてしまう人は,ご自身の性格を「気が短い」とか,「イライラしやすい」とか,「心が狭い」というように認識されるかもしれません。

あるいは,相手に対して本当は「遅すぎ!」などと苛立ちをぶつけたいものの,口論になったり気まずくなったりするのが嫌で,そのような行動を我慢する人は,ご自身のことを「内気」とか,「消極的」とか,「言いたいことが言えないタイプ」などと認識されるかもしれません。

では,(簡単かどうかはさておき)こういった人たちが,相手に対して苛立ちをぶつけないとか,自分が思ったことを口に出すとか,そういった行動を取ることは物理的に可能でしょうか,それとも不可能でしょうか。

少なくとも,物理的には可能ですよね。

ただ,そうはいっても,「感情的になってしまって自制がきかなくなる」とか,「行動した後の展開が自分の望まない方向になってしまうかもと思うと行動できない」というように,物理的には可能であっても,感情を持つ人間としては行動を変えることはできない,ということもあるかもしれません。

ですが,例えば上記の『自分は短気である』という人のケースで,待合わせの相手が大事なお客さんであるとか,上司であるといった場合でも,「いつまで待たせるんだ!」などと苛立ちをぶつけるでしょうか?

あるいは,『言いたいことを引っ込めてしまう』という人のケースで,その相手が気の置けない親友や,なんでも相談できる家族等の場合ではどうでしょうか?

おそらく,両者とも違った行動を選ぶ可能性が高いですよね。

つまり,「待ち合わせの相手が遅れてくる」という状況は同一であっても,相手によって対応を変えているわけです。

このことからすれば,人の行動は感情によって制御不可能になるものではないことは明らかです。


では,このように,状況としては同一であっても,相手によって態度を変えることがあるのはどうしてなのでしょうか?

それは,まさに,その人の「考え方」に沿って行動が選択されているからにほかなりません。

例えば,『友人や恋人であれば,仮に相手を怒らせてしまったとしても,それによって自分自身が大きなダメージを負うことはないが,顧客や上司の場合は,仕事における評価にマイナスな影響が及んだり,クレームや上司からの叱責という形でダメージを負う可能性が高い』というような考え方等に基づいて,自分の行動を選んでいるわけです。


どうですか?

そもそも,このような考え方に沿って行動を選択できる人が,「自分の行動を制御できない短気な性格」といえるのかすら,疑問に思えてきませんか?

このように,人の行動選択には,その背景となる価値観や考え方が必ず存在します。

そして,その価値観や考え方が変われば,180度行動が変化することも珍しいことではありません。

皆さんの周りにも,しばらく見ないうちに見違えるような肯定的変化を遂げている人は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

その人の何が変わったのだと思いますか?

簡単なことです。

「考え方」と,その考え方に基づく「行動」です。


ただ,考え方を変えられるかどうかは,その人その人に合った努力が必要です。

自分の考え方以外にどのような考え方があるのかよく知らないという方は,これまでの経験に基づく価値観に縛られず,本や人のお話から多くの情報を得る必要があるでしょう。

『別な考え方があることは知っているのだけれど,なかなかそれを自分のものにできない』という方は,一緒に学び,お互いをサポートし合える仲間を作る必要があるかもしれません。

人によって必要となる努力は様々ですが,そのような努力なしに,ポンとボタン1つで変えられるようなものでないことは,皆さん自身きっとよくお分かりではないかと思います。

いずれにしても,共通していることは,「今この瞬間にどんな行動を選ぶのか」次第であるということです。

どんな過去の経験を持っていようが,どんな環境に置かれていようが,今この瞬間に「変わるための努力をしよう!」と決意し,その決意に基づいて行動すれば,どんな人でも変わることは可能です。

要は,今この瞬間をどう生きるのかどうか次第であるということです。


オートリアの精神科医であるヴィクトール・フランクルは,ドイツのアウシュビッツ強制収容所に入れられ,非常に苦しい境遇に置かれながらも,そのような状況の中で,

『どんなに身体的な自由を奪われたとしても,そのような状況下において自分自身がどのような態度をとるかという自由は誰にも奪うことはできない。そして,その態度こそが重要なものだ』

と考えるように努めたといいます。

まさに,フランクルは,『今この瞬間をどう生きるか』ということに強く焦点を当て,想像を絶するような苦しい境遇を耐え抜いていったのです。


今までどんなことがあったとしても,今どんな境遇に置かれているとしても,自分自身の態度(=人格,人間性)は自分で自由に選ぶことができるのです。

私は,このような考え方を知ってから,悩み事に長期間とらわれるようなことは全くといっていいほどなくなりました。

「今この瞬間をどう生きるか」にさえ集中していれば,過去はもちろん,未来への不安にもとらわれる必要がないことを肌で感じることができたからです。


「今この瞬間をどう生きるか」


厳しい状況に直面した時ほど,この質問をぜひご自身に問いかけてみてくださいね!